ある通信兵のおはなし

「ある通信兵のおはなし」著者へのQ&A集

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teruteruさまにお聞きになりたいこと、相談したいことは、こちらまでお知らせください。なお、teruteruさまが軍に在籍されたのは、昭和19年2月の第一航空軍教育隊配属〜昭和20年8月・敗戦までの間です。あらかじめご了解ください

【部隊関係】

teruteru様が搭乗していた偵察機はどんな機体だったのでしょうか?

毎回のように登場するT曹長とはどのような方だったのでしょうか

当時の偵察機に搭乗していた操縦士のレベルについて教えてください

T曹長は隼戦闘機に乗っておられたそうですが、加藤隼戦闘隊と関係はあられたのでしょうか?

teruteruさまは当時未成年だった(17〜8歳)ということですが、「おはなし」を読んでいますと、とても大人びた感じを受けます。当時、部隊ではどんな風に扱われておられたのですか?

第一航空軍では当時、編成替え・組織改編の頻度は高かったのでしょうか?

teruteruさまが所属されていた101通信隊は、「当初から完全な隠密部隊として編成された」のでしょうか?

第10飛行師団とteruteruさまがおられた101通信隊は、作戦上何らかの連携はありましたでしょうか?

第一航空軍隷下に第10飛行師団という部隊があったと聞きましたが、本当でしょうか?

調布基地はあちこちで書かれていて有名ですが、この基地とteruteruさまがおられた青梅基地とは、当時どういう関係にあったのでしょうか?

第一航空軍の任務と他の航空軍との違いを教えてください

当時の青梅基地の施設はどのようなものでしたでしょうか?

部隊は青梅にあったとのことですが、昭和19年当時第一航空軍司令部があった場所ということでよろしいでしょうか?

【陸軍関係】

当時、陸軍航空の教育をしていた学校で、印象に残っているところを教えてください。

旧陸軍の下士官養成過程について教えてください。

当時の幹部候補生教育についてご存知のことを教えてください

当時「乙種幹部候補生」はどのように呼ばれていたのでしょうか?

乙種幹部候補生というのは少年飛行兵だけに与えられていたルートだったのでしょうか?また、乙種幹部候補生についてご存知の事をぜひ教えてください。

【少年飛行兵関係】

ご経歴の「第18期乙種幹部候補生」の「18期」は少年飛行兵18期ということでよろしいでしょうか?

ご出身の少年飛行兵は陸軍だけの制度だったのでしょうか?

【通信関係】

teruteru様はなぜ通信をはじめたのですか?

先の大戦における暗号について教えてください。

特攻機が突っ込むとき、「トトト」(我、突撃する)の連送をモ−ルス符号で送信した、と、あるところで知ったのですがこれは本当でしょうか?

【その他】
搭乗員が飛行機に「酔う」ことってあるんでしょうか?

私は営業マンです。このところ思うように成果が出ません。何かアドバイスをいただければ幸いです。

私の部下にいわゆる「ケアレスミス」が直らない人がいます。根本的には真面目で、優秀なヤツなのですが、同じ間違いを何度も繰り返すのです・・・

掃海殉難慰霊碑は金刀比羅宮の何処に有るか詳細を教えていただけますか?

特攻についてご存知のことを教えてください

特攻機は乗員1名だったのでしょうか?


●「はじめまして。いつも「おはなし」楽しみに拝見しています。とんでもなく卑近な質問で申し訳ないんですが・・・

搭乗員が飛行機に「酔う」ことってあるんでしょうか?
teruteruさまは、飛行機に乗られていた時、酔われたことはありますか?

私は乗り物に弱くて、電車でも進行方向と逆の座席に乗ると酔うくらいです。
いわんや三次元に動き回る航空機。
操縦士の方は酔うことはなさそうな気がしますが(車でも運転手は酔いにくい)、ガンナーや通信士の方などが、うしろ向きに乗っているのを見ると「酔わないのかなあ…」とつい思ってしまいます。

酔うとしたら、酔いやすい機体や、酔わされる操縦、なんて物もあったりしたのでしょうか?

何というか、小学生のような質問ですいません…。(どうでもいいようなことに興味があります)
送ろうかかなり迷いましたが、聞かぬは一生の恥と思い切って送信しました。」
(misaさん)


乗り物酔いの原因は、乗り物の揺れによって、内耳の平衡器官が過剰に刺激されるとともに、まわりの景色が自分のいる場所との関係に混乱が起きてしまうからです。

軍用機の場合は機種によって、酔いやすいということはありません、ただ、搭乗員としての適正検査で視力は裸眼で左右とも1.2以上で、また、グルグル廻る箱に入って、2.3分廻され箱からでてすぐに真っ直ぐ歩けるかどうか、などのテストに合格しないと、航空兵といっても地上勤務に回されます。

旧軍隊の兵科では、航空兵の搭乗員が一番待遇が良くて、歩兵とは雲泥の差がありました、しかし、戦死する率は他の兵科より高かったのです。

自動車を運転しているときは、酔わないのに乗せてもらうと酔う人がいますが、これは平衡器官が右へ回る、左へ回るということを予期しているためです。

わかり易く言いますと、能動的な動作に対しては案外に酔いませんが、他動的要素にたいしては、自身の意志に反する場合がありますので、酔いやすい人はそれなりに自己防衛をする必要があります。

電車は進行方向に向いて座ること、自動車のシ−トはあまり軟らかいと、船酔いと同じように酔やすいです。

寝台列車で3段の場合は、最上段は揺れが大きいですから出来るだけ下段の方がいいでしょう。

ところで、軍用機は旅客機と違って、キャビンの与圧をしていませんので、概ね高度3000mを越すと酸素マスクを装着しますが、無線電話の声がクグモッテ相手が聞きづらいことがありますので、マスクをするのをつい忘れることがあります。

登山の場合は、酸素不足で息切れしますが、飛行機は座ったままですから、気がつかないことがあり、しまったと思ったときは手足が麻痺していて、相棒に助けを求める結果となります。

これを、低酸素症といって命に関わります、息はできますので油断するのです。

それと、一番苦しいのはなんと言っても強烈なGがかかった時です、急上昇、急降下のとき、内蔵が口から出てくるような状態になります、これを和らげるために、現在の戦闘機パイロットは耐Gス−ツを飛行服の下に着用していて、Gがかかった時に自動的にス−ツの中に空気が入りス−ツを膨らませて胸と腹を締め付けるようになっているそうです。

昔は耐Gス−ツは開発されていませんでしたので、私は晒しの布を下腹に巻きつけていました。

空自のF15クラスのパイロットは、マッハ2以上のスピ−ドで、一人で航法、電子機器類の操作、射撃、通信(無線電話)をこなすのですから大したものです。レ−スカ−の運転よりも難しいでしょう、なにしろ戦闘行為という危険な仕事をするのですから。

それから、質問とは関係ありませんが。

夜間、旅客機が着陸態勢に入ると、客室内の照明が暗くなりますが、それは何故か。ご存知でしょうか。

飛行機は離陸と着陸がアキレス腱ですが、着陸の際、緊急脱出をしなければならないときに明るい客室から非常出口に出ると外は暗いですから物が見え難く、その為にパニクリ状態に拍車がかかりますので、薄暗いところで眼を馴れさせておく為です。

以上、少しでもご参考となれば幸いです。


●先の大戦における暗号について教えてください。

海軍は、確か5文字構成で一つの暗号を表していたとの記憶があります。
例。(58123 46582)

陸軍は、師団通信は確か4文字構成であったと思います。

陸軍航空も4文字構成で、最初の一語の数字の中に、使用乱数表の番号が隠されていました。

例えば 
「7890」の場合、

最初の7=乱数表番号321号を索引せよ
 →乱数表番号321号を索引
  →我れ敵機動部隊発見す。


簡単にご説明しますとこのような仕組みですが、乱数表を引いてそれだけで意味がわかるような暗号の組み方ですと、すぐに解読されてしまいますので、実際はいくつかの作業を経てから本来の意とする意味が判明します。
従って、暗号表、乱数表を間違って使いますと全く意味が分からない解読となります。
 なお、太平洋戦争時には、日露戦争当時のカタカナ構成の暗号は使っていませんでした。
PHSのメ−ル送信に、「区点コ−ド」を使っていたときがありましたね。
「1606」…愛
「1653」…意・・・・・などなど。
 
これなども広義の暗号と言えるかもしれませんが、実際は送信符号の圧縮であり、暗号とはいえません。
ちなみに私は、索引が超面倒でこの「区点コード」は使ったことがありません。

軍で使用していた暗号も、放送系の通信は数字構成でしたが、空戦中に暗号書を紐解き組み立てる余裕などは、最後までありませんでした。
 
ですから、私は生文のカタカナ、または、ABCを使って高速で送信しました。
 
例、「グラマンF6Fと遭遇す」(G6ソウグウ)

のようにできるだけ簡略にまとめましたが、受信側は、英文と和文の区別を表す符号を聞き漏らしますと、意味が通じません。

 
ですから、送信側、受信側の呼吸が合わなければなりません。

(G6ソウグウ)を和文の符号に統一しますと、(リ6ソウグウ)となり、何のことか分かりません。
 
因みに「チチアスコイ」の電文の中で、「ア」(― ― ・ ― ― )と「シ」(― ― ・― ・)の最後の「―」を「・」に聞き誤りますと、「チチシスコイ」となり、とんでもない訳文となります。
これは、実際にあった話です。



いくつかの解読作業を経て、本来の通信文に翻訳する暗号構成であっても、相手は容易に解読していたというのが実態です。
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●特攻機は乗員1名だったのでしょうか?

特攻攻撃の当初は、上空で戦果を確認する「確認機」(通信兵搭乗の複座)が同行出撃していましたが、この確認機が敵艦の攻撃により撃墜されることが頻繁でした。
突っ込む特攻機は複座でも、搭乗員は一名でした。
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●特攻機が突っ込むとき、「トトト」(我、突撃する)の連送をモ−ルス符号で送信した、と、あるところで知ったのですがこれは本当でしょうか?

「モ−ルス符号とは何か」を知らない人が作っている話と思われます。
 
カタカナの三文字を使った暗号は日露戦争当時に海軍が作成した暗号ですが、太平洋戦争当時と比べると、随分と幼稚な簡単なものでした。
それを、有名な「トトト(我、突撃する)」とすりかえ、社会で横行していることは正に噴飯ものです。

左手で操縦悍、右手で電鍵操作というのは両方とも熟練していなければ、無理でしょう。(こちらもどうぞ

因みに、左手で送信時間を書きながら右手で電鍵操作ができたら、プロとして一人前ですが、最低でも2.3年の経験が必要です。

これは作者の想像としか言いようがありません。

参考までに、日露戦争当時の海軍の無線暗号の幾つかを例示します。


◆黄海方面の作戦に使用した無線電信略符号(明治三七年三月四日規定)
ミミミ・・・・「敵見ユ」
シシシ・・・・「敵無シ」
レレレ・・・・「敵ハ我ニ向ヒテ来ル」
サササ・・・・「敵ハ我ヲ避ケテ退却ス」
キキキ・・・・「敵ノ艦隊我ガ艦隊航路ノ右前方ニ見ユ」
タタタ・・・・「敵ノ艦隊我ガ艦隊航路ノ左前方ニ見ユ」
ロロロ・・・・「敵ノ艦隊見ユ」
ククク・・・・「敵ノ駆逐艦(水雷艇)見ユ」
リリリ・・・・「敵艦旅順港口ヲ出ツ」
ヨヨヨ・・・・「敵艦旅順港内ニ入ル」
トトト・・・・「敵ハ駆逐艦(水雷艇)ヲ伴フ」
カカカ・・・・「敵ノ兵力ハ二等巡洋艦以下ナリ」
フフフ・・・・「敵ヲ攻撃セヨ」
セセセ・・・・「敵ヲ追跡セヨ」
コココ・・・・「混信ス送信ニ注意セヨ」
 
◆日本海方面で使用した無線電信略符号 (明治三八年四月一〇日東郷司令長官制定)

【敵情報関係】
タタタ・・・・「敵ノ第二艦隊見ユ(為シ得レハ次テ所在地点信号及ヒ進行方位信号ヲ示ス)」
ミミミ・・・・「ウラジオ艦隊見ユ」
ヨヨヨ・・・・「敵ノ偵察巡洋艦ラシキモノ見ユ」
レレレ・・・・「敵ノ仮装巡洋艦見ユ」
チチチ・・・・「敵ノ駆逐隊(艇隊)見ユ」
ネネネ・・・・「敵艦隊ラシキ煤煙見ユ」
ロロロ・・・・「敵ノ位置及ヒ進行方向如何」
キキキ・・・・「敵ハ我カ航路ノ右前方ニアリ」
リリリ・・・・「敵ハ我カ航路ノ左前方ニアリ」
ムムム・・・・「敵ハ我ニ向ヒテ来ル」
ヲヲヲ・・・・「敵ハ我ヲ避ケテ去ル」
ヒヒヒ・・・・「敵ハ対馬東水道ヲ通過セントスルモノノ如シ」
ニニニ・・・・「敵ハ対馬西水道ヲ通過セントスルモノノ如シ」

【作戦関係】
ナナナ・・・・「敵ヲ攻撃(襲撃)セヨ(セントス)」
ラララ・・・・「駆逐隊(艇隊)ハ敵ニ近接シ機ヲ失セス襲撃セヨ」
ツツツ・・・・「敵ヲ極力追撃セヨ」
カカカ・・・・「敵ト接触ヲ保チ之ヲ監視セヨ」
トトト・・・・「当隊ニ合セヨ(当隊ニ返レ)」
アアア・・・・「当隊ト無線電信通信距離以内ニアレ」
サササ・・・・「駆逐隊(艇隊)ヲ当隊(指示地点)ニ送レ」
ノノノ・・・・「其ノ隊(艦)ノ位置針路ヲ知ラセ」

【通信関係】
コココ・・・・「混信ス各艦及ヒ各望楼一時送信ヲ止メ次テ本艦ノ指示スル艦ヨリ送信セヨ」
エエエ・・・・「敵我カ送信ヲ妨害ス時々送信ヲ止メ敵ノ送電ニ注意シ敵ノ妨害終ルヲ待チテ直ニ送信セヨ」
ソソソ・・・・「敵ノ送信ヲ妨害セヨ」
三(数字)・・「今送ル電信ハ敵ヲ欺ク電信ト知ルヘシ」
七(数字)・・「感導微弱ナリ火花及ヒ「アンペヤ」ヲ大ニセヨ」
(注)1.当時の無線送信は、火花発信機でした。

   2.「アンペヤ」・・・電流値の単位です。

以上ですが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいた随分前に「敵艦見ユ」の無線連絡の項で、一寸おかしいな、と思い調べた資料がありましたので、転記しました。
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部隊は青梅にあったとのことですが、昭和19年当時第一航空軍司令部が青梅にあったのでしょうか?

第一航空軍は、現在陸上自衛隊の東京市ヶ谷駐屯地がある場所に司令部がありました。当時は他の上層部もたくさん入居していました。
航空軍司令部の通信所は、杉並区荻窪の学童疎開で一時閉校していた小学校にありました。この学校名は思い出せません。
また、通信所と私たちの部隊との連携はありませんでした。
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哨戒機が二機と、通信設備(アンテナの柱は普通の電柱を3本継ぎ支柱で固定。上空から確認されないよう、林のなかに二方向(東西と南北)に設置していました)
吹き流しは、離陸、着陸の際のみ使用します。
滑走路は甲子園の外野並と小さなものでした。
まず任務ですが、航空総軍の下命による、戦略策定、飛行機戦隊の編成計画、米軍通信の解読、航空兵の人事管理でした。

次に他の航空軍との違いですが、内地に関しては、航空総軍傘下の九州にあった第6航空軍と変わりはないと思います。ただ、米軍の本土上陸作戦が、
オリンピック作戦とコロネット作戦に分かれていた関係から、我がほうの戦略計画も、自ずから違っていたように思います。
首都防衛計画については、総論、各論に亘り、隊長の訓示の中から推察していました。

役立たずは原隊復帰。というのが当時の雰囲気でした。
李中将が司令官に着任(昭和18年7月20日)後は能力第一主義であったと聞きましたが、どこにも記録はありません。
隊長のはなしから、中将が朝鮮民族であることから上層部との確執があったように私は憶測していました。上層部は「李王朝の末裔はダメだ」との烙印を押したかったのでしょうが、傘下の航空隊には、適材適所の配置が歴然としており、
その手腕は確かなものでした。
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調布基地とは全く関係はありません。従って、調布の隊員でも知らなかったと思います。


ありました、次の表を参照してください。


関係はありません。また、作戦上も連携はありませんでした。
と言うのは、所属していた101通信隊は司令部の直轄部隊ですから、現場同士での作戦の連携ができなかったからです。
これは、今に残る日本特有の縦組織を重視する弊害です。
従って、当時は「横の情報の共有は全くなかった」といっても過言ではありません。
 
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そうです。近くの調布基地でも知らなかったと思います。
編成時期は、昭和18年末と聞きました。


本土決戦に向けて、編成替え・組織の統廃合がヒッキリなしでしたから、参考図書を見ても、整合していない箇所が随所に見られます。
 
また、当事の軍隊経験者でも、組織等に関するものは、軍事秘扱いが非常に多かったため、詳細に亘って知っている人は少ないと思います。
戦後、発行された旧軍に関する図書の一部にミスがあっても、そのまま引き継がれて、別の作者が書いているのですから、信憑度は70%だと私は思います。
 有名な「ニイタカヤマノボレ」の送信は、その後調べたところ、東京の「海軍第一放送系通信隊」(長波)の放送形態による発信らしいのですが、これが、最大公約数ではないかと思います。作家の名前が有名であれば、全部が本物であるとの誤解は、いまだに払拭されていません。
 
私は「源田 実」「坂井三郎」著、以外は斜め読みをしています。
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●当時は未成年(17〜18歳)ということですが、「おはなし」を読んでいますと、とても大人びた感じを受けます。当時部隊ではどんな風に扱われておられたのですか?

軍服を着用すると、年齢に関係なく、大人扱いで一週間に30本のタバコ(恩賜のタバコで、一本ごとに菊の紋章が浮き出し印刷されていました。
味は不味いのですが、匂いはピ−スの缶を開けた時の香りがしていて、桐の箱の20本入りでした、これは、航空隊だけの特権だと聞きました
 
ただ、大人扱いでもアルコ−ルはご法度でした。
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そうなんです。 陸軍少年飛行兵制度は昭和8年4月に創設され、昭和9年2月の所沢陸軍飛行学校での第一期生卒業にはじまります。昭和13年には、陸軍航空要員を増やすため、東京の村山に東京陸軍航空学校が創立されました。(第6期生から入学)
その後、滋賀県大津と九州の大分にも教育隊が設立されました。
これ以外にあるかも知れません。
 
終戦時まで第20期ですが、期は同じでも学校により入学時期が多少違うかも知れません。(私は18期で、第一航空軍教育隊(鈴鹿)です[詳細な経歴])
1期〜20期までの累計は約46,000名だそうです。
科目は操縦、通信、整備など、航空兵と言っても、搭乗員と地上員にわかれていました。
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●ご経歴の「第18期乙種幹部候補生」の「18期」は少年飛行兵18期ということでよろしいでしょうか?

そのとおりです。
少年飛行兵学校は、下士官を養成する学校でした。
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●乙種幹部候補生というのは少年飛行兵だけに与えられていたルートだったのでしょうか?また、乙種幹部候補生についてご存知の事を教えてください。


少年兵とは、満20才未満をさしての総称であったと思いますが、昭和18年12月14日勅令第922号により創設された「陸軍特別幹部候補生」があります。
 
この制度も広義に解釈すれば、少年兵です。
通称を「特幹」と呼ばれ、下士官の速成コ−スでした。
従って、乙種幹部候補生の範疇となります。
 
ですから、少年兵すべてが「乙幹」であったわけです。
 
なお、特幹は現役前(15才から20才未満)に応募します。
歩兵は、下士官の速成コ−スはありませんでした。(自衛隊の特科部隊に相当する兵科だけでした。)
鈴鹿教育隊でも、「特幹」の訓練をしていました。
 
海軍に置き換えますと、予科練ですね
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●当時「乙種幹部候補生」はどのように呼ばれていたのでしょうか?

「乙幹」です。
下士官養成のためのコ−スで入隊時に一等兵でした。(現役ですと
6ヶ月の検閲がすんでから、一等兵に昇進します。)
(注)少年兵以外の「乙幹」もありましたので、こちらも参照してください。

●当時の幹部候補生教育についてご存知のことを教えてください。

現役入隊後、一般の初年兵から幹部候補生を募り、試験にパスしますと、その成績により甲種(士官適)と、乙種(下士官適)にわけられました。
甲種に合格しますと「予備士官学校」に入り、卒業後は見習士官を経て、少尉に任官します。
 
しかし、部内的に甲種幹部は士官学校卒よりも下に見られていたように思います。
甲種に合格できずに乙種となった者は、娑婆での経験などを参考として兵科が決められ、下士官候補生(乙幹)としての訓練を受けます。
 
従って、志願して軍隊に入った、少年兵の「乙幹」と、「甲種」に合格できなかった「乙幹」と、二通りあったわけです。
 
この「甲幹」出身の少尉が一番エラブッていましたが、技術(腕前)が伴わない人が自分の地位を見せびらかせたいから、余計に偉そうにしたのだと思います。
 
その点、士官学校卒の少尉は違っており、それは態度でわかりました。
 
昭和18年10月、雨の「宮城前広場」の行進で有名な、陸軍特別操縦見習士官(略して特操)がありましたが、大学を中退して志願した者で、その殆どが特攻隊員となりました。
 
この方々も、広義に解釈しますと「甲幹」の範疇になると思います。
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さきに述べました、「少年兵」と、現役で入隊後「甲幹」に合格できなかった「乙幹」とがありますが、その他はメンコと成績により昇進しました。
 
昇進スピ−ドが速いのは航空兵で、衣服、食事とも歩兵とは大差がありました。

電測(電探)教育をしていた、浜松の電測学校だけが記憶に残っていますが、その他についての詳細は分かりかねます。
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いいえ関係ありません。
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●当時の偵察機に搭乗していた操縦士のレベルについて教えてください

相棒の竹中曹長は、空戦の経験回数が50回近くもある歴戦の猛者でしたが、総じて、哨戒偵察機の操縦士は、叩き上げの実戦経験豊富な中から選抜されていたことをご存知ない方は多いようです。
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●特攻についてご存知のことを教えてください

終戦間近な時点では、昨日や今日、操縦悍を握るようになった者が、特攻要員に廻されました。 滞空時間が300時間程度で突っ込んだというのが、最終局面での特攻の実態です。
報道にもない、また、図書にも書いていないことですが、早く操縦を会得出来た者から、順次、特攻攻撃に出撃しました。一方、飛んでいるのがヤットであった者が、終戦まで生き長らえていたことも事実らしいです。
また、途中でエンジン故障で引き返した者は、次の出撃の一番に選ばれたようです。
 
戦後、「特攻くずれ」という言葉が流行しました。これは、特攻要員であったことを吹聴し、大きな顔をしていた人たちのことをいいます。
実戦を知らない「特攻隊員」は口先だけで度胸は全くなしでしたから、「俺は特攻の生き残り」だとエラぶる者に対しては、私は無視を決め込みました。
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いつも、興味深く読んでおります。
ところで、掃海殉難慰霊碑は金刀比羅宮の何処に有るか詳細を教えていただけますか?

不肖にしてそのような経緯や慰霊碑があるのは知りませんでした。
靖国神社には祀られて居るのでしょうか?
熱海の興亜観音に有るA級戦犯の慰霊碑と似た話ですねぇ、、、
よろしく。
(みやちゃんさま)


私が知っている範囲でお答えいたします。

掃海殉職者追悼式は、毎年五月、海上自衛隊呉地方総監が主催者となって金刀比羅宮の大門下壇の顕彰碑前の広場で執り行なわれているそうです。

海上自衛隊の弔銃隊も参加した厳粛なものであると伺いました。

ご存知とは思いますが、金刀比羅宮は海の神様であることから、その地に顕彰碑が建立されたそうです。

私見で恐縮ですが、戦後の新憲法下において、米軍艦隊が敵前上陸を敢行する道を切り開いた行動は、第九条に抵触しないのか、当時の政府は緘口令を敷き一切の報道はありませんでした。

当時の吉田首相は、「貧乏人は麦飯を食え」と、言いながら自分は舶来の葉巻を燻らしていた人物です。

掃海隊のことを書いた書物は殆どないのが現状ですが、防衛庁の防衛研究所戦史資料室には、マイクロフィリム化された記録が保管されているそうですが、閲覧室でないと閲覧はできません。

戦後30数年も放置しておきながら、シブシブ公表したノ−テンキ連中に敢えて言いたいことは、「イラク」派遣で大騒ぎするな!と、言うことです。

トックの昔に憲法違反を犯しているし今回の「イラク」派遣よりも余程、危険な任務であり、しかも北朝軍が固めている橋頭堡の目前における掃海作業である。

日本近海および朝鮮の仁川で殉職した方々を、30数年にも亘って放置していた日本政府は我々を絶対に守ってはくれない、と思うと同時に日本の憲法は空念仏であると今回の「はなし」を書きながら痛感しました。

ご参考に友人からメ−ルで送ってもらった顕彰碑の写真を添付致します。

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Q:毎回のように登場するT曹長とはどのような方だったのでしょうか
私自身も仕事をしている中でプロ中のプロのように感じられ興味を大変持つとともに、少し人としてあこがれてしまいます。
(大阪府 渡辺さま)


T曹長の風貌は一見して近寄り難い感じでした。部隊へ配属されたときは怖そうで、気後れがしたものです。

配属されたことを申告したとき、たった一言「そうか」と言って、私の顔をジット見つめましたので、ここで、目をそらしたらいけないと思い、瞬きをせずに我慢をしたことを思い出します。

身長は180位でした、体重は知りませんが、背格好からすれば、80Kgはあったでしょう。
背中は大きくて、私の後部座席からは前が見えにくいので、「落下傘を尻に敷かないよう」にお願いしたことがありました。

寡黙で、必要なとき以外はヘラヘラと喋ることはありませんでした。

兎角、飛行機乗りは、一匹狼的な性格の人が多かった記憶があります。
空に上がれば、殆ど自分自身の判断行為が生と死を分けるからです。

いわゆる、「群れる」ことを好まないようでしたが、といって「ひとりぼっち」でもありません。

年上は隊長だけでしたから、他の将校は公以外の場では、みんなT曹長を兄貴のように慕っていました。

一言で言い表すと、他人に全てをさらけ出すことはせず、なにか秘めたものを持っているように感じる人でした。

私も娑婆にでてから、その真似をチョッピリしたところ、上司から「何を考えているかわからない性格」と考課票に書かれました(笑)
人真似は駄目ですね。

機敏な人でした。

今思いだしましたが、「スタンバイ5分前」を叩きこまれました。
通常のスタンバイの時間から、更に「5分前」に準備を完了せよ、とのことです。

また思い出しました。
「時間を守らない者は信用できない」これは、現在でも忘れないように心がけています。

私が約1年すこしの間、生死をともにし、人生訓のような教えを受けたことは、今考えても幸せだったと思います。

昭和20年当時、私は18才で、T曹長は28才でしたが、10才の違いがこんなにも、ものの考え方が違うのかと考えさせられることが、沢山ありました。

曹長は、熊谷陸軍飛行学校卒ですが、空戦技術は同期のなかでも、一番だったらしいです。

小学生の頃から合気道を学び、飛行学校当時は、特別教官として教えていたそうです。
部隊当時は5段でした。

「合気道」とは、「敵と戦い敵を打ち破る術ではない、気を練り、相手と対峙したとき、我が身を棄てる相打ちの精神になる気の鍛錬と心の鍛錬である」

この言葉はいまも忘れていません。
その他、記憶に残っている言葉の数々をご紹介します。

1.進む勇気よりも退く勇気が本当の勇気である。
2.向かって来る敵に対しては徹底的に交戦せよ、自分からは仕掛けること
  は慎め。相手より先に攻撃するのは、自分自身の恐怖心から逃れようと
  する弱気があるからである。
3.自信は経験の裏づけがあって、自然に備わってくるもので、最初から、自
  信がある筈はない。
4.自分の「物指し(考え)」で判断をするな。
5.何事もヤル以上は一流を目指して精進せよ。
6.貧しくても、心は豊かに持つように心がけよ。

記憶に残っているものを羅列しましたが、長い人生で本当に信頼でき、頼りにしていた方でした。

昭和20年6月下旬、沖縄の決戦場へ転属されましたが、その後の消息は不明です。
T曹長のお名前と略歴は←こちらで紹介しています)
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●teruteru様が搭乗していた偵察機はどんな機体だったのでしょうか?

 (IMAI WORKS・模型:川崎 陸軍2式複座戦闘機「屠龍」 ニチモ1/48 http://www.angel.ne.jp/~imai/w01-03.htm より
←クリックすると大きな画像になります
私たちクル−の機は、川崎製・二式複座戦闘機「屠龍」を偵察用に特別に換装した機で、エンジンは「中島製」の「誉」エンジン(2,000馬力の試作エンジン)を二基搭載していました。
また、航続距離よりも速度を重視し、また、偵察機は索敵無線通報が使命ですので、「屠龍」
の標準装備の後尾座席の斜銃を撤去し軽くなった分は高出力無線機に換装していました。
 
従って、索敵・戦闘機として位置付けられた専用機でしたから、部隊とともにその記録も残
されてはいません。
 
また、練度の高い操縦士でないと左右のエンジンパワ−の制御が難しかったので、基地の誰
でもが操縦できる機ではありませんでした。

概ね対空時間2000時間を超えるベテランでないと、左右のエンジン出力バランスを誤り、最悪
の場合失速することとなります。

従って、上昇角度も当時の他の機よりも急角度で上昇しますが、着陸が至難の業で、短い滑走
路で、時速150Kmで着陸するにはギリギリでしたから、緊張の連続でした。
 
現在は自動着陸装置が誘導してくれますが、当時は、経験で飛んだのですから、そういう意
味からすれば、昔の操縦士はたいした腕を持っていたと思います。

私の知る限りでは「屠龍」は終戦まで約1700機が生産されたそうですが、B-29に対する夜間
迎撃戦闘機としては右に出るものが無かったようです。

上昇限度は一万メ−トル、最高速度は550km/hでした。
武装は37mm機関砲が一門、12.7mm機銃が二丁でしたが、標準武装機にはその他、20mm機関砲
が二門も装備されており、充分B-29と渡り合える空戦能力がありました。

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●私の部下にいわゆる「ケアレスミス」が直らない人がいます。
根本的には真面目で、優秀なヤツなのですが、同じ間違いを何度も繰り返すのです。

本人のいわく「頭ではわかっているのですが、いざ本番となると目の前の課題の解決で頭がいっぱいになって、以前指摘された事がポンと飛んでしまうのです」ということです。

今回のおはなしを読ませて頂いて、teruteru様はいい意味で「隙のない」方だと感じました。そんなteruteru様にぜひアドバイスをいただければ、と思った次第です。

こういう性格というのは生まれつきのもので直らないのでしょうか?
何とか「隙のない」いいビジネスマンに育ててあげたいと願っているのですが・・・。


ケアレスミスの件ですが、私の経験のいくつかを申しあげます。

・本人は非常に気を病んでいますから、失敗を繰り返しても、あまりきつく注意しないこと。 

・人間は個人差は当然ありますが、ミスをするから、人間であるという観念を持たせること。

・完全無欠な人間は存在しないことを言い聞かせる。

・この世で、すべてが、計算どおりに物事がすすむのであれば、誰も苦労しない、パソコンでも失敗を繰り返しながら習熟します、私も現役当時、スパコンに投入した、顧客の管理資料を約7000件ほど、ご操作で消去してしまいましたが、センタ−の保守担当の専門家は、「エエコトをひとつ覚えたな」と、いってくれましたので、かえって、自信がついた覚えがあります。 

・決して、しからないことです、本人は充分に反省をしている筈ですから、

・私は会社当時、教育担当係を25才から35才まで経験しましたが、いわゆる「出来の良い」生徒は、傲慢で鼻持ちならず、ことごとく叱りました
一生懸命にやって、結果のでない生徒には、よく課外授業をしました。
その生徒たちも定年を迎えましたとの、知らせに接し、自分の年を数えています。

とりとめのないことを、書きましたが、一つでも参考になることが、ありましたら幸いです。
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●私は営業マンです。このところ思うように成果が出ません。何かアドバイスをいただければ幸いです。
 (神戸市・E)


さて、お尋ねのことですが、私の浅い経験でお役に立つかどうか分かりませんが、思いついた事を纏めましたので、参考になれば幸いです。

◇ 相手の虚栄心を満足させる。
   売り言葉の前に褒める言葉を捜す

私がN局の販売担当のとき、3台〜4台ワンセットの電話機が初めて発売され、各局の販売担当が競い合い、私も課員に負けないように販売に出かけました。

世界的に有名なギタ−リストのお宅を訪問し、新しい電話機の便利さを、クドクドと説明しましたが、そのギタリストは、「電話機は一家に一台あればいいよ」と、取り付く島もありませんでした。

ふと思いついて、「私は以前から貴方のファンですが、中でも一番好きな曲は、貴方のデビュ−曲です。若し、無理を聞いていただけるのでしたら、サワリだけでも、ここで弾いて戴けないでしょうか」と、駄目もとを承知でお願いしたところ、目の前でラストのフレ−ズまで弾いてくれました。アンプを通さない正に生演奏でした。

その後「ところで、おいくら」と、来たので、シメタと売り込みにかかりました。ホンの些細なことでも気にいられることがあるものです。

◇ 間をおく。

売り込みたい一心で、立て板に水は、相手が身構えます、適当に相手が質問しやすいように、「間」をおきます。

これは、日本生命の教育担当の方から聞いたのですが、その女性は日本の生保業界でナンバ−ワンの方でした。

◇ 営業は、クレ−ム処理が第一歩。
   
クレ−ムを処理するコツは、相手が言いたいことを、繰り返すようになるまでジックリと、神妙に聞きます。
繰り返すということは、それ以上の言い分が無い事です。
「貴方のおっしゃる通りです」を、適宜いれながら詫びる。
人間の、激高継続はせいぜい15分ぐらいで、疲れてきますから、それからは、自分のペ−スで話しをします。

◇ 契約はお天気のよい午前中に。

むかしから、ニ八は商売不振といわれますが、2月の寒さ、8月の熱さの時候の時は購買意欲が湧きにくい時期です。
雨がシトシトと降る午後は、契約行為は避けた方がよろしいです。
午前中がなぜよいか、といいますと、体全体が活性化していますが、午後になると多少疲れぎみになるからです。

◇ 対面応対の時の眼線。

これは、その筋の人が使う方法です。
菱形の若頭から聞いた受け売りですが、人間の右脳は主として、情操をつかさどり、左脳は思考、決定など、その時々に応じて働くのです。
従って、相手の左目にこちらの眼線を集注します、ただし睨んではいけません。
普通に眼の焦点を相手の左目に合わします。

普通の人では、約10分足らずで黒目がチラチラとなり、眼線がアチコチとなってきますが、これは、左脳が疲れかけてきた現われです。

その時を捉えて、こちらの土俵へ引っ張り込みます。
   
これは、確かに効きます、一度試してみて下さい。
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Q:teruteru様はなぜ通信をはじめたのですか?(神戸市・E)

◆無線学校に入ろうと思った動機
 小さい時から機械いじりが好きで、将来大きくなったら、誰でもしない様な技術を身につけようと思っていましたが、田舎の学校の先輩で海岸無線局(詳しくは、潮岬海岸局 コ−ルサイン『JSM』)に勤めていた方がいまして、単身赴任でしたから時々、実家へ帰ってきていました。
 折に触れて、仕事の話しを聞くにつけ、理知的な仕事でカッコがいいと思い、自分も挑戦してみようと、その方に無理を言い、英語の暗記用カ−ドに、アルファベット26文字、いろは48文字、数字(1〜0)記号を書いてもらい、学校の勉強は一服して、モ−ルスの暗記に明け暮れました。
 入学テストは一般学科もさることながら、適性テストが難関でした。
 例えば、5oの方眼紙の一つの枠内に、点を3つプロットせよ、時間は5分間、小さい枠の中に3つずつ正確にプロットするのは難かしく、そこで、何か良い方法が無いかと考えた挙句、手の平を机の上に軽く乗せ、鉛筆を3回ずつ上下さしながら、枡から枡えと移動させると、案外に枠を外さず楽にできました。
  
◆教科
1.送信術  (卒業時、分速90〜100字送信できる事が目標)
2.受信術  (  ・・・      受信  ・・・  )
3.法 規   国内法.国際法
 国際法では、船舶の緊急遭難信号 SOS の傍受を海岸局及び航行中の船舶は、グリニッチ標準時間の、毎時15分と45分から各3分間、全ての発信を止め500KHzを検波して傍受することが、義務付けられていました。
 特に国際法規が難かしかったです。

 余談になりますが、いまのPCのキ−ボ−ドの配列は、和文は、メ−カ−により違いますが、アルファベットの配列は、どの様にして決められているか、あまり知られていませんが、ITU(国際電気通信連合)の諮問機関であるCCITT(国際電気通信諮問委員会)がITUに答申して定められたものです。
 テンキ−の配列と電卓のボタンの配列が違うのも、この事が起因しています。

4.一般教養学科及び通信学科
      QTC・・・当方に送信する電文あり。
      QSA・・・感度1〜5 (3が普通) 
      QRK・・・明瞭度1〜5(3が普通)
      QSV・・・受信調整符号 V を送信されたし。
      QSW・・・感度悪し周波数を変更されたし。
      ZAN・・・不感 (感度なし)
      
       その他、数十種類あり。
 例として、書きましたが、兵隊では全く要をなさず、かえって混同しました。

※ この前、自衛隊の特殊訓練を受けていた人が、自殺したとのニュ−スを聞き昔の嫌な出来事を思い出しました。
それは、1年に0.5人程度の割合でモ−ルス通信について行けず、さりとて、故郷へ帰る勇気が無く、首を吊る人があったことです。(全寮制でした。)
それと、上級生には、絶対服従で下級生の頃は上級生の褌も洗いました。
従って、軍隊の規律は未だやさしいなと思いそんなに辛いとは思いませんでした。
 
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