アイスバーグ作戦平成16年3月12日配信 |
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モ−ルスの送信練習をサポ−トした新人の見習士官は、電鍵の操作をアマチュア時代に我流で会得したそうですが、やはり長音のツ−(―)が不揃いでした。 各符号の長音の長さが揃っていないと、受信するときに違和感があります。 イ(・― )とタ(―・)の長音が同じ長さでないと、符号として聞いたときにギクシャクとした感じになり、受信側が熟練者であった場合はイラツクときがあります。 基本から操作方法を練習したほうが矯正しやすいと思いましたので、そのことを告げますと、「一生懸命に習うから、よろしく頼む。 索敵出動の合間に休むこともなく、すまん」と言われたので、「待機所でジッとしているより、なにかをしている方が気分がまぎれてよいのです。出撃中は緊張の連続が数時間も続きますから、通信室でなにかをしている方が気持ちが落ち着くのです」 この様な会話をしていたとき通信軍曹が、「いま、面白い交信を捉えて受信中だが、暗号文の送信が終わると、決まったように生文で情報交換をすることが度々ある。 この雑談の交信の中に重要な内容を含んでいることが多いので、聞いてみないか?」と誘いがありました。 暗号文での送信が終わってから、生文での交信が始まりました。 送受信とも固定通信所のようですが、使用周波数から憶測すると、送信側はマ−シャル群島の何処かの基地であることが分かりました。 しかし、受信側がどこかは分かりません。 受信符号をスピ−カ−に切り替え、見習士官は、モ−ルス符号を受信しながら日本語に翻訳し、タイプの受信用紙に手書きしていました。 この技術は大したものです。 符号を英文で捉え、同時に翻訳できるような通信士は、諜報専門部隊以外ではまずいないでしょう。 強力な新鋭がわが隊にきました。 ただ、アメリカ在住が相当長かったため、翻訳文には漢字が殆どなく、仮名が多いのが難点で、翻訳したものをそのまま隊長に提出できません。 後で清書することとしました。 見習士官が書いている米兵の交信内容の中に、軍事機密に該当するようなものが含まれていないか、虎視眈々と睨んでいました。 軍事機密事項であっても、一ヵ所がほころびると、尾ひれがついた情報は一人歩きし、だんだんと真実味を帯びてきます。 自分だけが機密情報を知っているのだ、と言う優越感も手伝ってペラペラと話してしまうものです。 予期したように、新しい単語が出てきました。 それは「アイスバ−グ作戦」という聞きなれない作戦名でした。 それについてかなり詳細な情報を知っているのか、米軍基地の送信兵が得々として作戦の中身を送信していたため、単なる噂話の雑談でないと判断し、通信室長に連絡するとともに、隊長に途中経過を報告していただきたいことを告げました。 全容が明らかになってきました。 「アイスバ−グ作戦」とは、沖縄攻略の作戦名だったのです。 昭和20年4月1日に米軍の沖縄本土上陸作戦は既に始まっていましたが、攻撃開始の2、3日後に得た情報でした。 「ニュ−ヨ−クタイムスの従軍記者から聞いたのだが、日本本土上陸作戦の第一段階として沖縄を占領することにより、台湾、中国沿岸および日本本土のすべてが、B29による爆撃は勿論のこと中距離重爆撃機の攻撃範囲に入り、日本占領に王手がかかることになる。琉球は海に浮かぶ日本の砦なのだ」 得意そうな抑揚です。 盗聴している米軍通信の受信周波数は、通信室長から司令部に対して連絡を入れていましたので、司令部でも、このような交信内容を受信しているものと思っていましたが、英文の送信が相当高速での送信であったため完全に受信することが出来ず、後で翻訳するのが不可能であったと、後ほど聞きました。 我が方は一部始終をあますことなく盗聴することに成功しました。 当時、米軍は慎重に且つ大胆に本土上陸作戦を検討のうえ、上陸作戦全体を「ダウンフォ−ル作戦」と命名し、九州南部の鹿児島県志布志湾周辺の上陸作戦を「オリンピック作戦」と名づけ、また関東地方に対する上陸作戦を「コロネット作戦」と命名していました。 「オリンピック作戦」の発動計画は、昭和20年11月1日となっていましたが、計画の立案は昭和20年早々から始められていたそうです。 作戦計画策定後、直ちに日本上陸作戦を強行しなかったのは、サイパン・アッツ島・グァム・硫黄島など太平洋の島々における日本軍の強行な反撃に対して米軍側が当初予定していたリスクを大幅に上回る損害を蒙ったため、欧州における戦闘の収束を待って、欧州戦線の兵士を日本攻撃に配備する計画であったためだそうです。 その間、海上封鎖による飢餓作戦、あるいは無差別空襲による都市の焦土化を行なっていたのです。 結果的には日本が「ボツダム宣言」を受諾することとなり、第二段階以降の作戦は実行されませんでしたが、第一段階の「アイスバ−グ作戦」は決行されました。 沖縄では、昭和20年6月23日に第32軍司令官牛島満中将が摩文仁村で自決して守備隊の組織的抵抗が終焉を迎えるまで、血戦が続きました。
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