ある通信兵のおはなし

硫黄島米軍飛行場の攻撃(3)

平成15年10月24日配信
コンテンツ

トップ
著者の紹介
メルマガ購読
ある通信兵のつぶやき
Q&A
リンク
バックナンバー一覧
Amamilサーチ

Powered by Amamil

PRODUCTS


AD


Powered by



通信室長から隊長に報告。

わたし達は、いつも出撃できる準備をしていましたので、海軍機と遭遇する予定空域をめざして一路、二機が離陸しました。

内房総の海岸線をとおり洋上にでました。
海軍の一式陸攻(注)が3機編隊づつの9機と、周りに零戦12機が取り巻くように飛行するのが前方に見えました。
(注:一式陸攻の写真と諸元表を掲載したURLは最後にあります)

「P−51が50数機基地を発進。座標○○を目標に南下せよ。また、我が機の後方約50Kmを追尾されたい」と高速のモ−ルスで送信すると、即、・―・(了解)と帰ってきましたので、熟練した通信士が搭乗しているなと思いました。

東京〜硫黄島間は1,250Kmもありますが、我が隊は東方から周り込むように飛行しますので、約1,300Kmになります。

目標までの約3時間は、片時も油断はできません。
もしP−51が、我々と同じコ−スを北上してくれば万事窮すです。

米軍機の視界に入らないコ−スを南下しなければなりません。
 
基地を呼び出し、「こちら梅1相手のコ−スは?」と聞くと、「最初の座標数値を聞き逃がした」

「ボリュ−ムを上げて、しっかり捕らえよ」となかば命令調で送信したのち、しばらくしてから、「座標〇〇と判明した」。
地図で確認すると我々より西約200Kmの位置でした。
やれやれでした。
発見されずにすれ違うことに成功しました。

あとは、敵哨戒機と敵艦船に捕捉されないように飛行すればよいのです。
そのことを海軍機に打電しました。
普通、右手で電鍵を打ち左手に双眼鏡というのは疲れますが、その時は、殆ど疲れは感じませんでした。
  
西に機首を向ける座標〇〇の位置に到達したので、海軍機に伝えるとともに、敵のレ−ダ−に捕捉されにくいように、海上すれすれまで高度を落とし、真っ直ぐ硫黄島を目指して速度を上げました。

T曹長から「これからが正念場だ。心してかかれ」との励ましがあったので、勇気が湧いてきました。

硫黄島が見えました。

海軍機に「突入されたし。我は高空で見張る」と打電し、5000Mまで高度を上げました。
遥か水平線に敵艦らしき姿が遠望できましたが、空母ではなさそうでしたので幸いでした。

海軍爆撃機が各々定められた目標に突入し、零戦が米軍の高射銃陣地に機銃掃射を加えている様子がハッキリと見えました。

弾薬庫の爆発がありません。

旧日本軍が構築した地下壕かと思っていると、凄い火柱が二本あがりましたので、弾薬庫に命中したことを確認しました。

滑走路はいたるところに穴が空き見る影もありません。
整備中の飛行機が猛炎をあげています。

このような光景を見るのは初めてでした。

状況を逐一、基地へ通報しました。

海軍の隊長機から「全弾命中。これより座標〇〇に向かう」と通報がありましたので、「了解」と返事するとともに、N軍曹機に「撤収せよ。座標〇〇」と打電。海軍機と合流しました。

海軍機の機数を数えると、全機無事です。早速基地へ「攻撃終了。我が方、全機無事」と通報し、本土空襲のP−51の集結地が判明すれば即連絡するよう依頼しました。

往路は幸いにも相当な距離差がありましたが複路はわかりませんので、まだ油断は出来ないのです。

基地から「P−51の集結地は伊豆半島沖。座標〇〇、集結時間GMT〇〇〇〇」と入りましたので地図で確認すると、概ね往路と同じコ−スのようです。

海軍機に対して、「往路と同じコ−スで帰投されたい。米軍機は伊豆半島沖を南下中」と打電し、「A3電波(無線電話)に変更されたし」と入れました。

最後に、「海軍機になにか言うことはありませんか?」とT曹長に聞いて、「俺はよいから、貴様がなにかあれば言え」などと押し問答をしていると、海軍中尉の声が入りました。

「この作戦は、貴隊皆様の援護がなければ成功しなかったでしょう。我が方の全機を代表してお礼を申しあげる」

先に言われてしまいました。

「お互いにご苦労さまでありました。我が方の二機は燃料補給のため、母島に立ち寄ります。皆様方の今後の武運長久をお祈りします」

母島に到着したのは14:00頃でした。
朝飯抜きで07:00に出撃したこともあり、疲れよりも空腹で腹がグ−グ−と鳴っていました。ホットしたのもあったのでしょう・・・。

炊事当番兵に頼んで握り飯を作ってもらい、タクアンで食べたのですが、表現できないほど美味かったです。

これは忘れることが出来ません。


前のおはなし次のおはなし