ある通信兵のおはなし

伝単ビラ

平成15年9月29日配信
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 米軍の無線通信傍受を確実に行うためには英文タイプは必須要件でした。
ところが、和訳担当兵を除く他の通信兵は、モ−ルスはなんとか解読できるのですが、タイプの操作は殆ど出来ない状態でした。

 以前から、通信室長が英文タイプの習得について腐心していたようですが、我流のタイプライティングの練習では、米軍が交信する通信速度には到底追いつけないのです。 

「基本からミッチリ仕込んでくれ。T曹長の了解は得ている」と通信室長から依頼され、また私のル−チン業務が増えました。

現在のパソコンキ−ボ−ドのABCの配列と当時のタイプのキ−の配列は、英文については全く同じですが、昔のタイプライタ−は機械的な構造ですから、手に相当な力を必要としました。

欧米では昭和の始め頃から使用されていましたが、有名な機種は「レミントン社製」で、我が隊に配備されていたのも「レミントン」でした。

左手のA S D Fと右手のJ K L (当時はこの基本となるキ−を「案内キ−」と呼称していました)。いまのキ−ポ−ドもF と J のキ−には、突起があります。
同様にテンキ−の『5』にも突起がありますが、これらは指先の感覚でポジションキ−の位置を知るためのものです。

キ−の配列と各指の分担表をボ−ル紙で一枚作り、必要枚数を作るように和訳担当兵に依頼するともに、キ−の配列表上での練習を毎日欠かさずするよう、室長から全通信兵にたいして命令を出していただきました。

なお、『練習中は「キ−の位置を確認する為に絶対に下を見ないこと」を徹底させて欲しい』ということも室長に依頼しました。
下を見る癖がついてしまうと、1分間の打鍵速度がせいぜい100文字程度となりそれ以上のスピ−ドが出ないため、とても使い物にはなりません。

因みに、戦後就職した通信会社の現場でのテレタイプ通信は、分速250字〜300字でした。

一通りの指の分担を会得してから、タイプの練習をしていたある日、飛行機の爆音が聞こえてきました。
音から判断すると友軍機ではないようです。
「警戒警報が発令されていないのにいきなり空襲か!」と思い外にでると、B−29が一機、高度5000位で飛来してきます。

「戦闘配置につけ」の放送を聞きながら上を見ると、紙キレが無数に落ちてきます。紙で出来た爆弾かと錯覚しましたが、まさかそんなことはないだろうと思っているうちにB−29は遥か彼方に飛び去りました。

護衛機もなく大胆不敵な行動ですが、本土といえども制空権は米軍が握っていたことを物語っています。

 この紙は、日本国民に対する心理作戦を通じて厭戦感を醸成させようとする宣伝のビラで、通称「伝単ビラ」と呼ばれていたものです。
拾った人は警察へ届けることを義務付けられていました。
(注)伝単=中国から渡来した言葉で「宣伝」の意味です。

ばら撒かれたビラの内容は。

『米国は日本の軍閥が降参するまで、日本を爆撃しなければならないのである。
米国はこの綺麗な日本がメチャクチャになるまで爆撃を続ける力があることは皆様も知っている筈である。
軍閥は処罰を恐れて戦争を続けているのである。
皆さんは苦しむのみである。
少数の利己主義者のために全国民が苦しまねばならない。
皆様の指導者にこの絶望的な戦争を止めるよう要求せよ。
爆弾を防ぐ唯一の方法である。』

随分と高飛車で、傲慢な文章でした。

 内容は多岐にわたり、日本の実情の暴露、空襲する都市の予告、軍閥に対する非難、新型爆弾の完成など多種多様でしたが、現在でもオタクマニアの間では、一枚約2万円もするそうで比較的保存のよいものは、5万円で取引きされているそうです。

(注)実物見本を添付しましたのでご覧ください。URLは最後にあります。

「はなし」の22話「ボイス・オブ・アメリカ」の中で、米軍に対する謀略宣伝放送をしていた「東京ロ−ズ」のことにふれましたが、この「東京ロ−ズ」について少し詳しく述べます。

本名「戸栗 郁子(とぐりいくこ)」1916年(大正5年)生まれの日系二世。
カリフォルニア大学卒、日米開戦時に日本に帰国中で、昭和16年12月以降は帰米できずに1942年(昭和17年)から、同盟通信社の愛宕山情報受信部で短波放送の傍受とタイプの仕事に就いていました。

1943年(昭和18年)11月からNHKによる宣伝放送(ゼロ・アワ−)の14人の女性アナウンサ−の一人として、連合軍兵士に甘い声で「厭戦気分」を催させたが、米軍兵士の間では、「東京ロ−ズ」と呼ばれて評判でした。

1945年(昭和20年)7月、同盟通信社の社員でポルトガル国籍のフィリップ・ダキノ氏と結婚しましたので、「アイバ・戸栗・ダキノ」と改名します。

終戦直後、連合軍に逮捕されますが、証拠不十分で釈放されアメリカに帰国しましたが、1948年(昭和23年)6月に再逮捕され、サンフランシスコ連邦裁判所で国家反逆罪により禁固10年、罰金1万ドル、アメリカ市民権剥奪との判決を受け服役します。

1954年(昭和29年)仮釈放となり、1956年(昭和31年)1月釈放されますが、国外追放処分となりました。

全米日系市民協会およびハワイ州知事などから特赦を要求する運動が広がり、1977年(昭和52年)1月、フォ−ド大統領が退任の日に特赦を発表して市民権を複権しました。 

従って、約30年間は無国籍だったわけです。

紙媒体(伝単ビラ)と電波放送の違いだけですが、どちらも同じ謀略宣伝です。
勝者が敗者を裁く優位性が歴然としています 。


■ばら撒かれたビラの実物写真はこちらで掲載しています。


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