ロッキ−ド P−38ライトニング戦闘機平成15年9月22日配信 |
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最大の任務である爆弾投下を終えたB−29は、再び広大な太平洋上の基地まで帰投しなければなりませんが、対空砲火や日本軍機による攻撃を受けて被弾した場合、その機が硫黄島まで飛行可能な場合には、マリアナの基地へは帰投せず硫黄島に緊急着陸をしました。 中には、硫黄島まで辿りつけず海上に不時着水するか、若しくは、機を放棄してパラシュ−トで脱出せざるを得ない場合もありました。 そのことを予期して、米軍は基地までの途上に緊急事態に備えて救助艇、潜水艦、及びス−パ−ダンボと呼ばれていた乗員救助用のB−29を配置していました。 このB−29は作戦が完了するまで、一定の空域で待機していました。 ス−パ−ダンボには、非常用ボ−トに食料、無線機などが積み込まれており、太平洋上を旋回しながら出撃した全機が無事に基地に帰還するまで、待機していたのです。 もし漂流する乗員を発見すれば、救援物資を投下するほか、救助艇または潜水艦に位置を連絡して救出に向かわせましたが、ス−パ−ダンボの場合は、約30分以内、救助艇は約3時間以内にその場所に到着できたそうです。 アメリカの記録によると、マリアナ基地からの日本本土空襲作戦全体を通して、83機のB−29から脱出した596名の搭乗員が救出されたとありました。 もっとも、日本本土の近海で不時着水したB−29の搭乗員は、近くで潜航待機している潜水艦が救助に当たりました。 数字はともかくとして、作戦遂行にあたっての細かい戦術が凝縮されていたことを伺い知ることが出来ました。 アメリカ軍の人命尊重第一主義が、このような作戦を展開していたのだと思います。 日本軍隊では、退路におけるリスクを最小限に食い止めるための配慮が全くなかったと言っても過言ではないと感じられます。 硫黄島失落後における米軍機の警戒空域が一段と北上したので、ス−パ−ダンボの待機作戦が可能となったのです。 従って、私たちの哨戒空域と重複するため、通常の索敵行動も絶対に油断できませんでした。 青い空が一面に広がり、風も穏やかな日でした。 相棒のT曹長が「黒い点が二つ見える。確認しろ」と落ち着いた声で指示を出しました。「米軍機の機種を確認せよ」の意味です。 双眼鏡で観ると、一機はB−29に違いないのですが、もう一機は戦闘機のようです。ただ、二機並んでいるように観えます。そのことを相棒に伝えると「二機がくっ付いて飛ぶ筈がない。多分、熟練した操縦士とともにヨ−ロッパ戦線から転属してきたロッキ−ドだろう。もうすこし近づく」とスピ−ドをあげました。 ヨ−ロッパ戦線がほぼ終息に向かってからは、熟練した操縦士が続々と太平洋戦線に転属してきましたが、我が軍は熟練した搭乗員が次々と戦死するとともに、軍用機の絶対必要機数が足りなく、米軍機に対する迎撃は充分ではありませんでした。 小さい方の機がハッキリと観えました。 双胴型です。 写真では見たことはありましたが、実物に出会うのは初めてです。 このロッキ−ドP−38ライトニング戦闘機は、高速、重武装の双胴型で、爆撃や偵察にも使えるように設計された機で航続距離が長いため、長距離を飛んで任務を遂行することが出来ました。 (注)写真及び諸元表を記載したURLは最後に記します。 特に有名な戦果としては、1943年(昭和18年)ガダルカナル島に基地を持つ第347戦闘機隊のP−38が、日本海軍連合艦隊司令長官、大将山本五十六が搭乗していた一式陸攻を迎撃し、撃墜したことでしょう。 最近になって、撃墜したのは「俺だ」「俺だ」と言って紛争になったとか。 とかく軍人は自分の功績を自慢したいのでしょうか。 P−38はB−29の護衛機のようです。ピッタリと寄り添うように飛行しています。 距離概ね2000mまで近づいたとき、基地から米軍機の交信をワッチ(傍受)した交信内容の通報がありました。 「偵察機と思われる敵機と遭遇した。どうするか」の答えは「相手の様子を監視せよ」とのこと。 二機とも本来の任務があるので、勝手な行動は慎んでいたようです。 射程距離にはいりましたが、相棒の曹長は泰然自若として、撃つ様子がありません。おそらくB−29の射手はこちらの機に照準を合わせていることでしょう。 しかし、P−38の方は我が機とB−29の間から離れようとせず、旋回しています。 4.5分の時間が凄く長く感じられ、結末はどうなるのか、少し不安な気持ちがよぎりました。 が、敵の操縦士は歴戦の猛者なのでしょう、仕掛けてきません。 1対1の空戦の場合は、恐怖心から先に仕掛けるのが多いのですが、まるで、剣道の達人同士のように睨みあったまま、一定の距離を置いて旋回するだけです。 基地から「救出作戦終了、帰還せよ」の命令を受信したと通報がはいりました。 T曹長は引き上げようとしているP−38の後尾にピッタリとつけましたが、相手はまるで無視したように、振り向きもしません。 背中に殺気を感じなかったのか。こちらの出方を先ほどからの対面でわかったのでしょう。 「曹長殿」と言うと。 「撃ちはしない。相手の度胸を試しただけだ」と笑っていましたが、躍起になって撃ってきたいつかのグラマンと比べて、技量と度胸の鍛え方が相当違うと思いました。 ヨ−ロッパ戦線では、ドイツのメッサ−シュミット(ドイツ空軍が誇る戦闘機)と、何度も渡り合ってきた猛者だったのかも知れません。 「こちら〇〇機、救出待機の二機は帰還した、これより帰投する、現在座標〇〇」と通報をいれUタ−ンしましたが、P−38米軍機操縦士の度胸には感服しました。 P−38ライトニング戦闘機の諸元概略表、写真はこちらで掲載しています。
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