ある通信兵のおはなし

ノ−スアメリカンP−51との出会い

平成15年9月15日配信
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 その日は黒い雲が低く垂れ込め、嫌な予感が漂うような空模様でした。
こんな日はB−29のような大型機ではなく、小型の戦闘爆撃機による空襲が予感されましたので、スクランプルに備えて必要な準備をしました。

特に、無線機の調整は整備兵にまかせず、通信室の技術担当一等兵に依頼して念入りに点検をしてもらいました。
これは、陸軍航空機用の無線機にかなりの改良を加えておりましたので、整備兵ではわかりにくい回路が多々あったからです。

 「T曹長と〇〇伍長すぐきてくれ」との通信室長の慌しい声が聞こえ、朝食後のしばしの憩いが吹っ飛びました。

和訳担当兵が、通信内容をスピ−カ−に流しながら同時通訳をしましたが、内容はどうやら、風向、風速、偏流値、雲の状態などの一般気象情報のようです。

しかし最後の一言は、
「敵機は見当たらず」(An enemy airplane is not found)でした。

このような放送形式の通信は、一定の送信場所から発射するのが常識ですが、最後の一言から類推すると、単なる気象情報の放送ではないようです。

その時T曹長が「米軍編隊機の露払い機だ」と大きな声を出し、「この放送は何分前からだ?」と真剣な顔をしています。

通信室長が「概ね10分ぐらい前からで、今聞いたのは2回目だ。従って5分間隔で放送しているようだ」と答えました。

 放送の内容から状況を判断できたのは、曹長だけでした。

「人間は偏見の情報解析機」とも言われますが、その人が持つ「情報」「知識」「経験」などを基礎とした自分のスケ−ル以上の事では、人間というもの、強引にあり合わせの「知識」に結びつけて結論を出してしまいがちです。

曹長の説明では、南方戦線では小さい島いたるところに日本軍の基地があったので、米軍の機動部隊または攻撃戦闘編隊が出撃するときは、自軍の進行方向の100Km先の日本軍の情勢を観察する偵察機が道案内をしていたそうです。
 
 徳川時代における参勤交代では、行列の遥か前方を、足軽が「下に、下に」と言いながら行き先の安全を確認したのですが、これを「露払い」と言いました。
とすると、放送を流している「露払い」敵機の後ろには、大編隊が本土を目指して北上しているに違いありません。

技術担当兵は「オシログラフから判断して移動体からの発信に違いありません」と説明。

硫黄島失落後は、米陸軍のノ−スアメリカンP−51が集結していましたが、航続距離、武装ともグラマンを凌いでいたので、迎撃体制を充分に整える為には、早期発見が必要だったのです。

通信室長が司令部に照会しましたが、これに関する情報は何もないとの事。

米軍偵察機からと想われる放送内容を隊長に報告に行く前に、室長とT曹長が整備兵長と和訳担当兵に以下の指示を出しました。
「隊長に報告に行っている間に、整備兵長は出撃準備をしておくこと。和訳担当兵は、もし次の発信があれば、その内容は勿論、受信時間をGMT(グリニッチ標準時間)で記録すること」

米軍機は従来からGMTを使用していたからです。

隊長の命令は「我が隊は司令部からの出撃命令を忠実に実行するだけの隊ではない。その為に我が隊で独自に研究開発をした索敵要綱がある。一割でも可能性のある事項については、本官が全責任をとるから直ちに出撃し、機種、機数、方位を索敵せよ」とのことでした。

我が隊独自に開発した「米軍機の座標数値表」を携行しましたが、あわせて「放送内容の中で米軍機は必ず座標数値を告げることは必至であるので、直ちに通報していただきたい」と通信室長に告げ、一路南下しました。

通信室の和訳担当兵が最初の放送を聞いてから、約20分経過していました。
もし硫黄島を発進した米軍機で、しかも、足の速いP−51であるとすれば、巡航速度400Kmで計算すると硫黄島の北、概ね135Km座標〇〇の位置であることが想定されます。

相棒の曹長の見解は「露払い機」は本隊の前方約100Kmを飛行するとのことでしたから、本隊は編隊を組み、巡航水平飛行にうつる頃でしょう。

高度5000で飛行していましたが、雲また雲で洋上が殆ど見えません。

基地から、「米軍機の座標が判明した」と数値の連絡が入りました。
我が機が南下しているコ−スとほぼ同じコ−スです。

富士山レ−ダ−に乗る、いつものル−トでした。

基地から「司令部から索敵命令がでた」との連絡。
その時は既に遥か南の洋上です。

電探基地からの情報のみでは「緊急の場合は通用しない」と心中穏やかではありませんでした。

迎撃体制もさることながら、熟練した諜報技術と要員の不足は否めない事実でした。

時間の経過とともに、ドキドキ感が止まりません。どんな敵機が現れるのか待ち遠しいのです。

基地から「敵機は本隊との交信を始めた」との連絡がありましたが、本隊の方の発信は極めて短く、「イエッサ−」だけとのこと。
本隊の位置を把握されることを警戒し、短文の発信をしているようです。

経過時間と米軍機の座標から推計すると、我が機の前方約100Kmです。
こちらも時速400Kmで南下していますので、あと数分で遭遇する筈です。

前方遥か彼方に姿を現しました。

双眼鏡で確認すると、機首は空冷の星型エンジンではありません。

やはり、硫黄島に配備されていたと考えられる液冷エンジン搭載の「P−51」に違いありません。基地からは「敵機に発見されたことを本隊へ通報している」とのこと。

敵機は一定の間隔を保ちながらこちらの様子を伺っています。

曹長が言うには、敵の状況をさぐりながら本隊を誘導する飛行機の操縦士は老練で、しかも本隊を的確に目的地まで導く使命がある筈であるから、自分から仕掛けてくることはないとのこと。

正にそのとおりで下手に仕掛けてはきませんが、数分間の睨み合いでなんとも言えない不気味さを感じました。

『「日本軍機に発見されにくいように、雲の下を飛行せよ」と、本隊へ通報している』と、基地からの通報が入りました。

米軍本隊の位置を確認できなければ索敵の意味がありませんので、米軍先導機を無視するように雲の上を更に南下しましたが、相手は高度を下げ雲の下です。

あと〇〇分で敵機本隊の上になる計算です。真っ青な空と黒味がかった雲の上を隠密飛行です。いつ、雲の中から敵機が現れて攻撃してくるかも知れません。

相棒の曹長が、「あと〇分で敵本隊の上にでる。急降下して敵機の下にでるから機種と機数を即座に把握しろ」

曹長の戦術は実に巧妙です。

「よし、行くぞ」の声を聞くなり、急降下。
敵本隊の目前でした。アットいう間に米軍編隊の下を通り過ぎました。

時速500Km前後のスピ−ドで擦れ違うのですが、動体視力には自信がありました。概ね50機のP−51です。

敵機の隊長も、さぞかしびっくりしたことでしょう。

即、雲の上に出て、スピ−ドを失速寸前まで落として北上しましたが、これは相手を欺く戦術です。

おそらく本隊のうちの2.3機が、我が機を追う為にエンジン全開で北上していることでしょう。

P−51は最高時速700kmぐらいですから、スピ−ドの差は約500Kmです。

10分も経過すれば目視確認は不可能です。

米軍本隊を捕捉した座標位置と機種および機数を基地へ通報しましたが、あとは米軍隊長機が指示する座標を的確に地図上にプロットすれば、攻撃目標地点を類推できます。

現在は電子戦争の時代ですが、わたし達は無線電波を利用した手作りの戦術でした。


P−51の諸元概略表、写真はこちらで掲載しています。


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