ある通信兵のおはなし

靖国参拝について

平成14年8月12日配信
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 今年の終戦記念日の靖国参拝は近隣国に配慮して、首相は参拝を断念したそうですが、毎年終戦記念日の靖国参拝でのゴタゴタ。もううんざりです。

 明治の初めの西南戦争以後、国の為に戦死した方をお祀りしているそうですが、憲法の政教分離に反するとかA級戦犯が合祀されているとか、国の内外から批判を浴びています。

 苦い経験を味わった他の国から言われるのは、それなりの理由があり当然と思います。ただ、戦時中、大東亜共栄圏、八紘一宇、挙国一致 等々を唱えていた人々、特に当時と手の平を返した様な態度をとるマスコミ関係には、とやかく言う資格はないと思います。

 当時指導的立場にあったオエラガタ(マスコミも含んで)は、「自分たちは侵略戦争に加担してなかった」と吹聴することしきりでした。
マッカ−サ−がアメリカの議会で、日本占領報告の演説の中で日本人の頭は、13才位の子供と表現したそうですが、この発言はその事、即ち、一人の人間としてのポリシ−に乏しいことを表現したものだとおもいます。

 平成13年5月13日、小泉首相は所信表明演説の中で米百俵の故事を引用し、痛みを分かち合う事を強調していました。
 米百俵を送られた長岡藩士はその米を自分達だけで分かち合う事なく、それを売却した資金を元に学校を設立したのですが、その学校が後の長岡中学校(現県立長岡高等学校)で、戦時の連合艦隊司令長官、山本五十六元帥の母校だそうです。

 米百俵が語る本当の意味は、既得権保持者が潔く既得権を放棄して、今の苦しみや、痛みに耐えなければならないということなのです。

 明日の日本のために、今日我慢するべきは誰でしょうか?
 戊辰戦争後の長岡藩士の立場の人間は誰でしょうか?

 既得権を手放そうとしない役人や天下り官僚、族議員、バブルに踊った経営者達こそ痛みに耐える人々であって、不況やリストラ失業に苦しむ一般庶民に向かって「痛みに耐えろ」という言葉を言うべきではないと思います。

 それにしても、既得権をもったエライ方々は、長岡藩士の様な高潔さを持ち合わせていない様ですネ。

最近のおける各方面の不祥事の発覚は、天の裁きかもしれません。


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