終戦直後の顛末(その三)平成17年5月13日配信 |
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【第127話】〜終戦直後の顛末(その三)〜 昭和20年(1945)8月18日の朝早くから、米戦闘機が京浜地区の状況を監視するため、低空飛行を繰り返していましたが、次々と爆音(エンジン音)が違うのが飛来してきました。 荻窪通信隊から着任した一行は、これと言う決まった任務はなく手持ち無沙汰でした。司令部通信班は、どのような通信を行っているのか興味がありましたので、和訳担当兵の古参一等兵とともに通信班長の内諾を得て、見学させてもらいました。 通常は「関係者以外入室厳禁」の赤札がかかっており、入室は一切ご法度でしたが、「いずれ通信室の一員として任務につくであろう」と考え、その下見もかねて訪問したのです。 3名の通信兵が一生懸命に電鍵を打っていますが、手元の机の上を見ると未送信の電報が山と積まれています。 交替して、少しは応援しようとは思いましたが、命令がないのに勝手なことをしてはいけないと思い部屋を出ようとしたとき、 受信をしていた通信兵が、「こんなに早い速度の和文は受けられん」と凄く不機嫌でしたので、予備のレシ−バ−をジャックに挿して聞くと、そんなに早いこともありません。 ただ、感情が昂ぶっているせいか、符号と符号の間の間隔が不揃いで、二つの符号が、ややもすると一つに聞こえる状態でした。 その通信兵は和文タイブが苦手のようで、エンピツで受信していましたが、手書きは暗記受信がしにくいため、イライラとしてきたのでしょう。 通信班長(曹長)の許可を得て、タイプで受信し始めると「何度(サラ、更に送信されたし)を要求するのだ、カワレ」凄く怒った様子でした。 「申し訳ない、受信兵交代した、サラ頼む」 タイプ受信しているのを、班長が横で読んでいましたが、途中で。 「けしからん。何処の戦隊か分からんかナ」と、独り言を言ってました。 その内容とは、日本軍人として恥ずかしい限りの行動です。 陸軍機か海軍機かは定かではありませんが、伊豆半島沖を西へ飛行していた一機が、原因不明ですが海上へ不時着したとの情報です。 たまたま、付近で操業していた漁船がこれを発見し、近くの駐在所へ通告したと言う内容でした。 16日以降は特別の命令がない限りは、連合軍の命令により、軍用機の飛行は禁じられていました。逃亡を目論み、故障により墜落したものと思われます。おそらく軍需物資の食料品(米、砂糖など)を満載にした逃亡機に違いありません。 当時の各地の航空隊では、徹底抗戦派と中道派、それと逃亡派とに分かれ、逃亡派は故郷に近い場所に着陸可能と思われる所があれば、夜明けを期して、一路ふるさとを目指して離陸して行きました。 因みに復員後、父から、 「軍用機が実家の近くの河川敷に着陸しようとして失敗。車輪が砂にメリこみ、機体の後部がせりあがって、機は裏返しとなり天蓋が大破したため操縦士が圧死した」と話してくれました。食料品が積んであったそうです。 これこそ、犬死以上の死であって、特攻あるいは果敢に戦って戦死した戦友に顔向けができない破廉恥行為のなにものでもありません。 従って、この様な恥ずべき行為に関することがらを記述した著書を見つけることはできないでしょう。 須原中佐から会議室へ即集合するようにとの伝達がありました。 なお、和訳担当一等兵も同行せよとのことでしたので、内心予測はしていましたが、想像どおり「マニラ会談に関する通信連絡についての伝達」でした。 伝達事項は。 「マッカーサーは降伏条件履行に関する打ち合わせのため、日本の代表をマニラに呼びつけた。 日本側は陸軍参謀長河辺虎四郎中将を団長とする降伏使節団が、明日(8/19)木更津から「海軍一式陸攻」二機に分乗し、沖縄の伊江島で米軍輸送機(C54)に乗り換えてマニラに向かうこととなった。 連合軍側の要求を予測することは困難ではあるが、概ね次ぎの事項が考えられる。 1.日本軍の武装解除。 2.連合軍が日本へ進駐する期日。 ただし、進駐期日については。 連合軍側は8月23日を要求する旨、大本営あてに電文があったが、徹底抗戦を叫ぶ将兵たちの蜂起を懸念し、期日の延期を申しでている。 この二点が柱となるであろう。 なお、一式陸攻二機のコールサインは、JBACY及びJBACZとし、周波数は連合軍指示の6970khz(無線電話)のほか、マニラ飛行場との交信は8915khz(電信)と決定した。マニラ側のコールサインおよび周波数は別途、大本営あてに通報される。 日本側の送受信担当は、海軍大和田通信隊が担当することとなったが、全て英文での交信となるため、英語の熟練通信士でなければ務まらない。 送信は原稿どおりに送信すればよいが、受信は和文よりも一文字を構成する符号が短いため、雑音で短点をひとつ聞き漏らすと、全く別の文字となることを懸念する。 従って、大本営に対し、 第一航空軍司令部通信班には、これまで数々の経験を積んできている通信兵二名からなる組(受信担当と翻訳担当)を二組編成し、同じ周波数の電文をそれぞれが同時に受信を行い、誤謬をなくす方法を提案したところ、賛同を得た。 本官としては、敗戦処理の段階にまで及んで、我が通信隊の技量まで連合軍には負けたくない。 「再送されたい」は許さんから心して取り組むこと」 担当は、 私と和訳担当のA一等兵。 杉本上等兵と和訳担当のB一等兵。 が、指名されました。 大和田通信隊が主で、私たちは従の形でしたが、私と杉本上等兵が受信した電文を突合したのち、和訳担当兵二名が翻訳する体制を採りました。 マニラから発信する周波数からはまだ連絡がありません。 波長が我が方のアンテナに同調すればよいのですが、マニラ側の送信機の出力は10KWらしいので、少しぐらいの雑音は克服できると考えるとともに、この任務が、軍隊生活を通じて一番のプレッシャーを感じる通信となるであろうと感じ、身が引き締まる思いがしました。
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