ある通信兵のおはなし

米軍戦闘機の示威飛行

平成17年4月22日配信
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【第124話】〜米軍戦闘機の示威飛行〜

 8月15日の夜は、
これまでのいろいろなことが、まるで走馬灯のように次から次と強烈に想いだされ、宿直通信兵を残して床に入りましたが、皆、ただ押し黙ったままで一言も言いません。

私は皆の気分をほぐそうと考え、これまで故郷のことなど私的なことについては、お互いに話を交わすことがありませんでしたので、故郷の山河を話し合えば、少しは心が和むだろうと想い提案しますと、皆も賛成しました。
そういうことから、軍隊に入るまで娑婆での生活状況や仕事のことを話しあいました。

杉本上等兵が口火をきり、「漁業無線局勤務当時、初めて船舶遭難緊急信号(SOS)を深夜受信したときは、体がこわばり次に手配するべきことを考えようとしても、なかなか思い出せなかった」とのことでした。

この場合は、無線局は守備エリアの漁船の位置を把握していますので、遭難船に一番近い船に救助の要請をするのですが、本人がパニクリ状態ですから、「なかなかマニュアルどおりに頭が回転しなかった」とのことです。

「パニクらずに悠々と交信できる度胸が据わってきたので、復員後、復職しても恥をかかないだろう」と言っていました。

徳本一等兵は、
「復員すれば、前のメーカーが待ったなしに再採用してくれると思う。これまでも、メーカー修理を必要とする場合は入隊前のメーカーの技術者がたびたび来隊していましたから、顔なじみも多く、先ず先行きは問題はないでしょう」
とのことでした。

平岡少尉は、学徒兵出身でしたが、「元の学校で測量学を続けて勉強したのち、砂防水利学を大学院で学び、戦時中放置されていた河川管理に尽くしたい」と意気込んでいました。

他の上等兵たちは、無線通信の特技を生かし通信会社に就職し生活設計を立てたい、が圧倒的でした。

娑婆で無線業務に従事するためには、国家検定の免許を必要としますが、この試験科目には、当時敵性用語として禁じられていた英語がありますので、復員したら先ず英語の勉強と、国内法規、国際法規を勉強するように、と話してやりました。

和訳担当の一等兵の一人が私に「今後どうしますか?」と尋ねてきましたので、
「私は逓信省の無線学校に入学したときから、職員として採用されており、関西の出身でしたから、大阪逓信局へ除隊復員の申告をすれば、即、職場がきまるそうだ」と言いますと、
「先行き安心なのが一番です。シッカリ頑張ってください」と激励されました。

和訳担当兵たちに今後の身の振り方を聞きますと、「両親とも相談しなければなりませんが、アメリカ市民権を持っている姻戚に頼んで、残りの学業に専念の上、自分の適性にあった職業を選びます」とのことです。

藤田曹長は、
「通信士になるのは小さい頃からの夢であったが、できれば、自分の特技(柔道三段、剣道四段)をいかして、できれば道場を開きたい」と意気盛んでした。

岩城上等兵は、
「海岸無線局の通信士の殆んどは、軍隊にとられているので、復員すればまたまた単身赴任で遠くの海岸局への配属を命じられるでしょう」とのことでした。

夏の夜明けは早く、東の空が明るくなってきました。
気が付くと、一睡もしないで四方山話しをしていたのでした。

このような話題に花を咲かしていますと、司令部との直通電話のベルがけたたましく響きわたりました。

航空総軍発令で、その内容は。

1.大本営の企画するところは、8月14日、詔書の主旨を完遂するにあり。

2.各軍は、別に命令するまで、各々現在任務を続行すべし、但し、積極的な侵攻作戦を中止すべし。また、軍規を振粛し、団結を強固にして、一途の行動にでることを禁ずる・・・以下略。

完全に夜があけました。

今朝の朝日と昨日までの朝日は同じでも、地上の我々とすれば、ある意味では、重苦しい戦闘から解放された、という想いで一杯でした。

私たち軍人でもそうですから、一般国民の皆様はさぞや胸のつかえがなくなり、解放感にひたっているものと想われました。

その時、和訳担当一等兵の「米軍の戦闘機が発進します」との大きな声に、いきなり現実に引き戻されました。

隊長機から指示を出しています。

通訳してもらうと、

「未だ戦闘終了とはいえない、追撃作戦であると考えよ。
本日の任務は、15日の天皇放送後における、日本軍の動向を探索することである。徹底抗戦に洗脳された将兵は、どんな方策を弄するかは、予測できない。

第一編隊から第三編隊の9機は、調布、厚木飛行場および周辺の軍事基地の動きを探索せよ。

第四編隊から第六編隊は、海軍基地の木更津、館山および、房総のレーダー基地を探索せよ。

集合地点、浦賀水道、座標数値〇〇 時間〇〇〇〇」

「なお、日本軍の反撃が予想されるから、油断せず心してかかれ。
また、単機での行動を禁ずる」

「第二梯団は、硫黄島から発進、東京上空到着予定時間〇〇〇〇、以上」

米軍機の交信内容は概要このような命令であったと想いますが、隊長の言葉の抑揚と歯切れのよさから判断すると、絶対的な優位性と自信が溢れて出ていました。

来ました。
「キーン」というグラマン機独特のエンジン音がします。
窓から見ると、三機編隊が超低空で旋回しています、

因みに、米軍はゼロ戦に対抗するための馬力アップに、従来のエンジンがロングストロークであったのを、ショートストローク型に換装、馬力アップをしたとの話を以前に聞いたことがあります。

余談ですが、
戦後、ホンダはショートストローク、四バルブエンジンを開発し、日本の他メーカーの車より、同一排気量で馬力アップに成功しました。

因みに、アメリカのハーレーダビットソンのエンジンは定型的なロングストロークを採用しています。日本でも戦後「くろがね」という、二輪車がありました。トルクは大きいのですが、出足が鈍いので敬遠されやがて消え去りました。

次々とエンジン音が違う米軍機が飛来してきました。

双胴のPー38、Pー51、グラマンTBFなど、それぞれが軽快な音で低空を飛んでいましたが、その光景はまるで、鷹やトンビが地上の獲物を物色しているように見えました。

森田隊長から

「近い内に当通信所を引き上げ、司令部通信班に統合することとなった。
いつでも移動できるように準備しておくこと。また、無線機は、ガソリンを掛け焼却することとする。この小学校に軍の施設があった痕跡を絶対に残さないよう注意すること。以上」

との命令がありました。

お世話になった杉並区の某小学校ともお別れです。
いつぞや、2,3才ぐらいの女の子二人が「兵隊さん、ご飯頂戴」とやって来た日のことを想いだしました。
その日の自分の夕食をとっておき、尋ねてきた子どもと一緒に食べていましたら、他の兵隊が次々と飯盒に飯をいれて持ってきてくれました。
いままでになかった楽しい夕食のひと時を、子供たちと一緒に過ごすことができた日でした。


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