軍上層部の葛藤平成17年3月25日配信 |
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私たちの通信所を襲ってきたP-38戦闘機の五機は、何の戦果もなく引き上げて行きましたが、 平岡少尉は和訳担当兵に対し、 「退路の飛行経路をできる限り傍受せよ」と指示されました。 首都周辺を我が物顔で飛行する米軍機は、任務を終えた安堵感から、盛んに僚機同士で私信の交信をはじめましたので、その会話の中から少しでも情報を得るためです。 和訳担当兵は、同時通訳の形で米軍機の交信状況を報告しましたが、その中で「太平洋戦争もまもなく終焉を迎える。日本は「ポツダム宣言」を一度は無視したが、戦争終結の最後の切り札であったソ連の仲介は、ソ連の参戦によって完全に孤立した」 「我々の作戦行動もまもなく終りを告げ、母国に帰ることができるであろう」 「地上からの攻撃をかわすため、高度300m、時速約500kmで飛行しているが、日本軍の迎撃戦闘機と遭遇しないのは、それだけの余裕が日本の迎撃戦闘隊にないことを表している」 実に余裕しゃくしゃくとした交信内容です。 おそらく編隊長機が他の僚機に対して流している情報です。 通信室で切歯扼腕しても致し方はないものの、私たちの残念な気持ちは全員同じで、しばらくは無言状態で、和訳担当兵が傍受した内容をただ黙って聞いているだけでした。 昭和20年6月22日に天皇が召集する最高戦争指導者会議が開かれた際、陛下は初めて、政府および軍指導者に対して 「先般の会議決定の如く飽くまでも戦闘を完遂するということも一応、最もではあるが、一面、時局を収拾することを考慮する必要があろう、これについてはどう考えるか」 と仰せられたそうです。 この天皇の終戦方策推進方に関する指示の背景には、「木戸内大臣」が起草した「時局収拾対策試案」がありました。 その骨子の概要は、昭和20年の下半期以降は戦争遂行能力は事実上喪失するとの前提の下、「天皇の親書をもって仲介国と交渉」することであった。 (外務省編、木戸幸一日記より)とのことです。 しかし、軍上層部はこの試案を無視するばかりか、天皇にたいする戦況報告は「わが忠勇なる軍隊は、各戦線において戦果をあげつつある」と、天皇を騙し続けていました。 20年8月9日の御前会議が終了後、陛下は、木戸内大臣に次のように語っておられたそうです。 「本土決戦、本土決戦と言うけれど、大事な九十九里浜の防備も完成しておらず、本土防衛部隊の武装も十分とは言えない。二人につき一丁の銃では、戦いにならない。 いつも計画と実行が伴わない。このような状態でどうして戦闘に勝つことができるか。忠勇なる軍隊の武装解除や戦争責任者の処罰等、は「ポツダム宣言」に基づき実施されるであろうが、忠誠を尽くしたそれらの者を思うと実に偲び難いものがある。 従って、こんにちは、偲び難きを偲ばねばならない時である」 (木戸幸一日記より) この8月9日の御前会議は、長崎へ原爆が投下された日の夜半深更、午後11時50分から開かれたそうです。 最高戦争指導者会議は、徹底抗戦派と、少しでも有利に終戦を計ろうとする者の真っ二つに割れていました。 司令部から送られてくる電文を見て、本土決戦となる前に、無条件降伏の意志表示を早くしなければ、3個目の原爆は東京であろうと推測しました。 いよいよ末期症状で、日本の和解を仲介してくれる強固な国は存在しませんでした。 そんな折、隊長が下士官以上を集めて訓辞されました。 1.我々は自己の任務遂行に当たってなんら恥じることはない。 1.今後、どのような形で収束するかは予想できないが、圧倒的勝利を納めている連合軍は日本の無条件降伏以外の戦闘終了はあり得ないだろう。 1.軍規を逸脱し、いたづらに軽挙盲動に走ることの無いように部下を指導すること。 1.情報によれば、軍上層部の意見は二つに分かれているそうであるが、ガダルカナルの敗北、ミッドウエ−海戦の敗北の時に講和対策を講じるべきであって、いまとなれば完全敗北しか残された道はない。 1.今後いかなる命令があろうとも、粛々と命令に従ったもらいたい。 かみ締めるような言い回しで、隊長は以上のことがらを伝達されました。 いよいよ、終焉が来ました。 いつぞや竹中准尉が「転がった石は止まることなく転がっていくだろう」と言われたことを想いだしました。
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