機銃掃射の恐怖平成17年3月18日配信 |
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昭和20年8月12日の夕刻、警戒警報が発令されましたが、私たちは、そのまま任務を続けていました。 米軍機の交信を傍受した結果、米軍機が、本土に向かって発進していることを探索し、司令部に報告をしていました。 時間の経過から計算すると、警報の発令が少し早いように思いましたが、それだけ米軍空母は本土に近い位置まで北上していたということです。 和訳担当兵が米軍機の交信状況を追っていましたが、B-29の護衛ではなくピンポイント攻撃のようです。 機数は定かではありませんが、幾つかの編隊が梯団で飛行してくるようです。 編隊ごとの隊長機が本土の目標地点を命令していることからすると、脚の長い戦闘機は硫黄島からのようで、集合地点から一気にそれぞれの目標に向かってくることが憶測できました。 米軍機の交信内容を傍受していた和訳担当兵が 「第一目標、調布基地から北へ数Kmの日本軍通信施設」と、大きな声で報告するのが耳に入りました。私が前にいた101通信隊があった基地です。 6月に空襲した後に、通信施設を復旧し、稼動しているものと思い込んでいるようです。 私 「我々の位置を以前の青梅近郊であると、信じているようだ。その機は何機ぐらいかわからんが、今後の無線交信を逃がさないように追跡せよ」 交信傍受の聞き逃しがないよう、二名の和訳担当兵が受信に専念しましたが、命令を受ける米軍機の方は、ただ「イエッサ−」と答えるのみですので、全貌が明らかではありません。 和訳担当兵が「五機ぐらいです。編隊長機に対し、捜索結果の報告がはじまりました。内容は、『爆弾の穴を確認。通信所らしき兵舎は壊れたまま。飛行機の残骸が三機』です」と報告してきました。 私たちは、米軍機が再び攻撃してくることを予想し、全てを壊れたままにして引き上げてきたのです。 「米軍機の隊長が、『第二目標、杉並』と命令しました」 和訳担当兵から、少し上ずった声で報告がありましたので、即刻、森田隊長にそのことを報告しますと 「やはり、ここの場所を嗅ぎつけたか。全員は現在の部署で待機し、絶対に外にでるな」との命令がありました。 米軍機は、 地上にあるもので動くものに対しては、人であろうと物であろうと機銃掃射で攻撃してきたからです。 まだ空襲警報のサイレンが鳴りませんが、米軍戦闘機は一路、我が隊の位置を目指しているでしょう。 米軍は電波の方向探知機により、概ねの場所を把握しているものと推察できました。 来ました。 双胴のP-38が5機です。硫黄島からはるばるとお越しになりました。 (注)P-38の詳細は「はなし」の第44話をご参照ください。 超低空で嗅ぎ廻っていますが、ひっそりとしている光景を見て 「何も確認できない。情報は確かなものか」と僚機同士で通報していました。 アンテナは、国旗掲揚用の柱と校舎二階の棟に張っていましたが、高速で通過する飛行機からは見えないでしょう。 そのときです。 突然、和訳担当兵がわめく様に 「撃ってきます」「試しに撃てと命令が出ました」 初めて機銃掃射を経験する兵隊が頭を抱えてしゃがみ込みましたので、私は、 「そう簡単に命中することはないから、気を確かに持て」と励ましました。 しかし、耳を押さえて体中がコチコチの状態です。 その内、部屋の中を走り周りだしたので、ビンタを2.3発食らわせますと、ヘナヘナと座り込んでしまいました。 こちらとしては、あくまでも無人の校舎であることを表現しないといけません。 軍事施設でないとしても、中に人がいることを悟ると爆弾を投下してくるからです。 五機が入れ代わり立ち代り、四方八方から撃ってきますが、四棟ある校舎の一階部分が主な着弾点でした。 付近に銭湯があるので、煙突が気になることと、国旗掲揚用の高い柱を気にしての超低空ですから、二階部分への照準が思うように行かないのでしょうか。 和訳担当兵が米軍機の「反応がないから引き上げよ」との交信を傍受したことを告げました。 15分ほどの機銃掃射でしたが、誰も負傷することなく幸いでした。 最後まで米軍機の交信模様を必死に傍受していた和訳担当兵は、ロクな軍事訓練も受けていない一等兵2名でしたが、その度胸と任務に忠実な心意気に対して隊長から「ご苦労であった」と、ねぎらいの言葉がありました。 しかし、逃げ出そうとした上等兵には、「自分だけが助かろうと思う心を直さなければ、先に戦死するぞ」と、厳しいお叱りがありました。
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