ある通信兵のおはなし

マンハッタン計画

平成17年1月14日配信
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真夏の太陽がカンカンと照りつける昭和20年8月5日の午後。

森田隊長から、「特別の伝達事項がある」とのことで、平岡少尉、藤田曹長と私の3名が隊長室へ伺いました。

隊長
「本日、早朝から司令部において作戦会議があった。
その模様と、今後における我が隊の任務を伝達する。

我々が名づけた「正体不明機」は、今後、「特殊任務機」と呼ぶこととなった。

陸軍中央特殊情報部が、アメリカのニュ-メキシコ州において7月16日、新しい実験が行なわれたことを外国通信社の通信を通じて傍受している。

そのことと、我が隊が7月初めから探索している、「B-29の不審な行動」の追跡調査を重ね合わせて考えると、従来の爆弾に比べて格段と破壊力が向上していることが窺える。

加えて、これまでB-29が、数回に及んで本土へ接近する飛行訓練を行ってきていること、また、マリアナ基地に展開しているB-29の戦隊番号のうちV600番台が当初から欠番となっていることも無視できない。

V600番台の戦隊は最初から特殊任務を帯びていることは、自明の理である。

(注)テニアン基地のV600番台のB-29は、昭和19年8月ごろマリアナに進出した、原爆投下部隊の第509混成群団です。

今後、陸軍特情部ほか本土防衛部隊の通信諜報部隊、及び電波探知基地は、一刻も油断することなく、この「特殊任務機」の動向を早期に探索し、本土防衛に遺漏なきようにせよ。との司令官からの命令である。以上。」

ドイツのエニグマ暗号解読器のことは、須原隊長(前の部隊の隊長)から概略を聞きました。
その際、私は「我が軍は、どうして、機械式の解読器を発明できないのでしょうか?」と尋ねましたが、須原隊長の言を借りますと。

「我が軍の上層部は、個々の暗号情報から得られる生の情報を、直接チェックし、コントロ−ルすることを軽視してきた。
作戦の意図およびその戦果の願望が先行し、客観的に情報を分析する冷静さに欠ける。情報感度の低いことは日本人特有のものであるが、情報分析には謙虚さが最も重要である。

情報と暗号政策に対しては、欧米と比べて格段の相違があることと、軍が傲慢になってきたことから、兵器開発とそれを同列視していないことに遠因がある」

この言葉をシミジミと想い出していました。

その夜は、なぜか寝付かれずに悶々としていましたが、日付が変わった8月6日の午前2時ごろ、藤田曹長が。

「起きろ。B-29のV符号を捉えた」

通信室には既に、平岡少尉以下、岩城、松村両上等兵及び和訳担当の一等兵3名が待機していました。

V符号を捉えたのは、多田上等兵でした。
彼は、娑婆では無線海岸局の勤務経験があり、多くの船舶との無線通信の経験が豊富で、検波する技量は抜群でした。

V符号連送状況から類推すると、5.6機ぐらいであるとのこと。

他の者にも聞こえるよう、スピ−カ−に流し、鵜の眼、鷹の眼で次の電波発信を待ちましたが、無線機を調整するためのV符号を連送した後は、雑音以外の信号音は入ってきません。


午前3時ごろ、和訳担当兵が
「米軍機がワシントンあてに短い暗号電報を発信しました」

内容は暗号文のため解読できませんでしたが、基地を離陸したB-29が何のためにワシントンあてに電報を送ったか?このことがキーポイントであると、私は推量しました。

午前4時すぎ、傍受していた和訳担当兵が。

「B-29の一機が硫黄島の基地へ無線電話で通報しています」と報告。

B-29の連絡内容は、「我ら目標に進行中」です。

本土へ向かうB-29が、途中の硫黄島基地に対して、このような通報をいれることは、今までに経験したことはありません。

目標とは、一体どこなのか?

また、離陸まもなくワシントンへ通報したこと。
わざわざ硫黄島上空を通過するときに、「進行中」と無電した理由は?

これらを総合的に考え合わせると、従来の本土空襲と比べると疑問点が多すぎました。

そのころ、
司令部通信班、特情部も傍受体制を整えていましたが、平岡少尉は司令部との直通電話にかじり付き、情報交換に余念がありませんでした。

和訳担当兵が
「B-29は二手に別れました。
座標数値から計算しますと、機数は分かりませんが一つは豊後水道に向かい、もう一方は紀伊半島を目指しています」
と報告しました。

緊張が走りました。

平岡少尉が即、司令部へ通報を入れましたが、特情部の諜報班は、豊後水道に向かったB-29だけを追跡していた模様でした。

B-29の巡航速度と時間経過から計算しますと、本土の何処かに到達している筈です。

和訳担当兵が、

「交信を捉えました。
『目標上空は快晴、目視攻撃可能。播磨灘の方へ東進中』しかし、交信相手は不明です」

と、スピ−カ−から流れる英文を翻訳しました。

私たちは、豊後水道に向かったB-29は本命ではないことを、薄々察知していました。
というのは、露払い機であれば、後続する編隊が必ずあるわけですが、その気配が全くなかったからです。

しかし特情部は、豊後水道に編隊が現れたことに固執し、第六航空軍(九州、沖縄方面)の司令部に対しても情報を入れていました。

「目視攻撃可能」との通報を受けた他のB-29は、いったいどこで待機しているのか分かりません。
が、我が軍の防空施設が比較的に手薄な経路を飛行し、旋回しながら、先行した気象観測機からの通報を待っていたことが、判明しました。

竹中准尉(前の部隊の相棒で操縦士)とともに、阪神間に侵入するB-29の飛行経路を追跡した経験から憶測すると、和歌山県新宮市と三重県尾鷲市の中間付近から、熊野古道の上空〜高野山〜紀ノ川〜和歌山県橋本市〜大阪府河内長野市の経路が考えられます。

待機している位置は、平岡少尉の憶測では、目標地点から半径200〜300Km以内であるとのことでした。

とすれば、
琵琶湖の上空で旋回しながら通報を待ち受けていたものと憶測されます。

しかし、その確証はありませんでした。

原爆搭載機(エノラゲイ、機長ティベッツ大佐)と、観測機(B-29二機)の三機が投下目標の広島へ向かって西進していたのです。

軍上層部及び特情部がこだわり続けた、豊後水道から浸入したB-29は、日本の諜報部隊、防空部隊を欺きながら、広島付近の気象条件を調査したいたわけです。

この原爆投下作戦名を米軍は、「マンハッタン計画」と命名していました。

ここから後のことは、
読者の皆様方がご存知のとおりの大被害となります。

戦後刊行された、エノラゲイに関する図書は、日米あわせて相当な数に上りますが、その中でも、日本の著名なある作家が書いた図書に、

「エノラゲイ」は、高度10,000mの上空から四基のエンジンをとめ、広島市中区の相生橋を目標に急降下し、高度8,600mからリトルボ−イ(原子爆弾)を投下した」

とありました。が、真実は一つしかありません。

映画、演劇の世界では通用するでしょうが、専門家が見れば笑うでしょう。

目視確認可能と言うことは、地上から見ても飛来する飛行機は見える筈ですから、エンジン音を消しても意味がありません。
また、再始動はセルモ−タ−で行なうとしても、自動車のように、エンジンのクランクシャフトを直接回転させるだけの電力容量をもったバッテリ−は、果たしてどこにあるのでしょうか?

(注)バッテリ−は、その容量により大きさが違いますが、大きさに拘わらず一槽は直流2ボルトです。

18気筒で圧縮比の高い2,200馬力エンジンをどうして再始動させるのか?

文筆には長けていても、メカニックのことはわかっていません。

このように、
想像して記述した、原爆関連の図書が堂々と市販されていることに対しては、「名のある著者であれば売れる」との思惑があり、大きな抵抗を感じます。

蛇足ですが、エノラゲイの副操縦士「ロバ−ト・ルイス大尉」が、原爆投下後記したメモ

「ああ、われわれは何をしてしまったのか」

は、アメリカでオ−クションにかけられ、35万ドルで落札されたそうです。


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