B-29のコ-ルサイン平成16年12月31日配信 |
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米空軍は日本の通信諜報をあまり気にかけず無警戒でした。 日本軍の暗号解読のための機器の開発、並びに解析能力が幼稚なものであると解釈していたからであると思われます。 加えて、電波探知の機器もせいぜい300km程度であることから、レ−ダ−に捕捉されても、足の速い機は、約30分もあれば日本本土上空に到達することが可能でした。 従って、 米軍機の動向把握については、昼夜をわかたず、東京田無の陸軍特殊情報部研究班が、B-29が発信する電波を聞き逃さないよう全力を傾注して通信の傍受に努めていました。 私たちの通信隊も、従来の航空気象情報の放送を継続しながら、以前の通信諜報を更に充実させることに腐心していました。 B-29がマリアナの基地を発進したときに、試験電波を発射したコ-ルサインの数から類推して、何機ぐらいが発信したかを司令部に情報を入れ、その後の交信を監視しますが、いつも同じ周波数ではありません。 そこで、三台の受信機でそれぞれ違った周波数帯域を検波していましたが、気象情報の送信だけを任務としていた既存の上等兵たちにしてみれば、闇の中から敵の動向を探ることに興味が湧いてきたのでしょうか、その真剣な表情から、任務に集中していることが分かりました。 B-29の戦隊は、途中、硫黄島付近まで来ると、コ−ルサインが入った電文を発信していましたが、内容は暗号文のため私たちは解読することはできませんでした。 恐らく、日本本土における爆撃目標、任務、及び任務終了後の集合地点であると推測されますが、念のため傍受した電文は司令部へ報告しました。 昭和20年の6月下旬 シトシトと梅雨どきの雨が降っていた夕暮れでした。 梅雨前線の低気圧の変化に伴う警報を送信していたとき、 いきなり、 「どうだ、元気でやっているか」の声がしました。 ビックリして顔をあげると、懐かしい須原中佐(前の部隊の隊長)が立っていました。 送信を続けながら席を立ち、「ありがとうございます」と言って挙手の敬礼をしようと思いましたが、右手を電鍵から離すことができませんので、咄嗟の判断で左手で敬礼したところ、中佐は笑いながら答礼をしてくれました。 中佐からは、 「司令部からの重要伝達事項があるから、送信が終わったら、平岡少尉、藤田曹長とともに森田隊長の部屋へ集合するように」との指示がありました。 直通電話での伝達でないことから、余程込み入った内容であると感じました。 予想どおり、その内容はマリアナの米軍機の動向について、陸軍特情部と第一航空軍隷下の通信部隊が協力して、米軍機の発信電波を探索することでした。 私たちが行っている米軍の通信傍受は、一朝一夕で会得できるものではないことを、司令部は充分認知していたのでしょうか。 須原中佐を直々に派遣されたことからしても、単なる傍受に関する命令でないことが窺えました。 須原中佐。 「特情部からの情報によれば、本年(昭和20年)5月中旬、ホノルルを発進してサイパン方面に向かったB-29の一機が、かなり長文の電報をワシントンに向けて発信した。 が、たったの一機が、所属する基地に対する電文ではなくワシントンに向けて発信したことに疑問があること、しかも、そのB-29のコ−ルサインは600番台で、いままでにない新しいコ−ルサインである。 特情部は、6月中旬まで追跡調査を行ってきた。 サイパン、グァム、テニアン各基地は通常百機を超える戦隊で編成されていたが、新しく出現した600番台が10機程度の少数戦隊であることに不審を感じた。 米軍の作戦に大きな変革があるものと推測される。 B-29の小さな戦隊は、新しい600番台のコ-ルサインを使ってワシントンと一回だけ無線通信をしてからは何の正体も現していなかったが、6月下旬頃から、テニアンの近海を飛行しだしたことをコ−ルサインで確認している。 新しく戦隊が編成されたのか、あるいは他に目的があるのか。 疑問が解けないまま我々は「正体不明機」と一応命名した。 この「正体不明機」の動向を的確に把握しなければ、近い将来、大きな禍根を招くのではないかと、司令部は判断した。 従って、従来からの米軍機の無線傍受について熟練している通信兵たちが格段の努力を傾注し、600番台のコ−ルサインを発信するB-29を追跡し、その正体を暴くことが急務である。 健闘されたい。 以上である。」 特情部の傍受結果によれば、テニアン基地を発進したB-29は、単機かまたは二、三機が日本本土を目指すが、途中から基地へ引き返すそうです。 この種の行動は、ある目的のための飛行訓練であると考えられますが、どのような目的なのか、搭乗員の飛行訓練以外に秘められた目的があると私たちも憶測しました。
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