米軍機との偽の交信(その二)平成16年11月26日配信 |
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藤田曹長に柔道の背負い投げで床に叩きつけられ失神していたF軍曹は、暫くして正気になりましたが、その形相を見てただならぬ気配を感じました。 通信技術に退けをとり、また腕力でも勝負にならなかったことは、数年来も味わったことのない屈辱だったのでしょう。 B-29がマリアナ基地から発進する際に発信するV符号の連送を、2名の上等兵が息をこらして検波していました。 因みに、発進前に無線機の調整を行なうため、B-29は各機がV符号(・・・―)の連送を行います。これで発進が近いことが分かります。 各島に配備されているB-29のコ−ルサインは、 コ−ルサイン サイパン島 V400番台 テニアン島 V700番台 グァム島 V500番台 であると私たちは解析していました。 発進後約10分〜15分を経過した時点で、離陸後、初めて電波を出しますが、[10V720]とあれば、コ−ルサインからみて、テニアン島に基地をおく10番機であることが判明します。 冒頭の二桁の数字は続き番号でしたから、我が軍に撃墜されたり、途中事故で墜落した場合、または故障により出撃できなかった機は欠番となり、米軍機の損害状況も類推することが可能でした。 平岡少尉は、B-29が発信するコ−ルサインを時系列的にかつ克明に記録することで、各米軍基地が保有するB-29の機数をまとめていました。 しかし、日本本土の爆撃目標、任務、任務終了後の集合地点などの傍受は困難でした。 硫黄島付近を通過するころに敵隊長機が発信するのですが、モ−ルスの時もあれば無線電話の場合もあり、周波数の検波には、担当の3名が必死で取り組んでいました。 敵は我が軍のレ−ダ−感知を警戒し、その後無線を封止しますので、短時間に電波をキャッチする必要があったのです。 フラフラになっていたF軍曹が突然、和訳担当兵が広げて見ていた米軍機の座標系を表した地図を引きちぎりました。 「こんなものを見せびらかして、なんだ!!」 と、言うなりビリビリに引き裂き、 「若造ども!貴様たちだけで戦争をしているような大きな顔をするな!!」と、胸倉を掴んで凄まれましたので、私は 「敵の銃弾をあびることもなくのうのうとしていることが、F軍曹の戦争なのでありますか?特攻隊員の殆どが20才前後の若者である事実をどのように思いますか? 私は特攻機の先導を経験しましたが、(「はなし」の第57話〜第58話を参照してください)あの悲壮、凄惨な場面を見れば少しは考えがかわるでしょう」 と階級も年齢も考えずに反論しました。 F軍曹は、「何を!少年兵のチンピラ野郎がクソ生意気な!!」と言うなり、足で私の腹を蹴り上げたので、私は後ろへ吹っ飛びました。 思わず頭に血が上り、気がつくと部屋から軍刀を持ち出し、抜刀してF軍曹の喉に切っ先をあてていました。 「よく聞け! この刀はそこらにある昭和軍刀とは、チョット違うぞ!! 祖先が殿様から拝領した由緒ある刀だ! 一人や二人を斬って刃こぼれするような、安物と違うど!!!」 F軍曹は、顔が引きつって手も足もでませんでした。 私は、 「森田隊長に事の次第を報告するために、このままの姿勢で行くか? さあ、どうする?」 F軍曹の手はワナワナと震えていました。 それほど私は激昂し、物凄い形相をしていたのでしょう。 先ほどから一部始終をジット見ていた藤田曹長に、 「バカ者、刀を引け」と一喝され、内心ではホッとしました。 止める人がないと、そのままF軍曹の喉を突いてしまうかも知れないからです。 平岡少尉が大きな怒号とドスンバタンの音を聞きつけ通信室にこられました。 少尉がまず眼にしたのは、少尉殿の苦心の結晶でもある「座標系を表した地図」が破かれて、部屋の中に散乱している光景でした。 少尉「軍事機密書類を毀損したものは、前に出ろ」 F軍曹が渋い顔で、「自分が破りました」 少尉「貴様か!これを作成するのにどれだけ苦労したかは、貴様には到底わからんだろうが、これを作るには、測量学を知らなかったらできないのだ」 「貴様は、測地点、X座標、Y座標などは分からんだろう。 いずれにしてもこの地図は、我が隊の作戦遂行上なくてはならないもので、兵器に準じるものである」 「兵器を毀損した者は、陸軍刑法により軍法会議にかかる。 作戦遂行を意図的に妨害したとして、最悪の場合は、終身禁固または銃殺刑に処せられる。 これから隊長殿に報告するが、司令部から出頭命令が出るまで謹慎しろ」 隊長は、司令部に対して経緯を事前に報告のうえ、翌日、F軍曹を伴い司令部へ出頭しました。 転属組の上等兵たちは、私のこれまでの言動と違った殺気だった行動に随分驚いたそうです。 私は、物事は白黒をハッキリさせたい性格ですので、「限りなく黒に近い灰色」で決着をつけることができない性分なのです。 2日後、F軍曹の処分が決まりました。 軍法会議になれば当然、我が隊長の「監督不行届き」も、裁判の過程で問題となり、応分の処分がくだされることと、他の隊員に対する志気にも影響を及ぼすことは必至ですので、李司令官の特別の配慮により、 「上等兵に降格し沖縄へ転属を命じる」との計らいでF軍曹の処罰が決定されました。F軍曹のその後の消息は不明です。 因みに、沖縄戦の第32軍牛島司令官は,「各部隊は各地における生存者中の上級者これを指揮し,最後まで敢闘し、悠久の大儀に生くべし」と命令を出し、6月23日未明,長勇参謀長と共に、摩文仁岳中腹の司令部壕内で自決をしています。 従って、日付から考えますと鹿児島から沖縄への移動ができないまま、九州の何処かの基地に転属して行ったものと推測します。 なお、H少尉が「万一の場合を考慮し、同じものをもう一枚作成しておいた。 しかし、これまでの米軍機の飛行経路を詳細に地図上に表していたのを再現できないのは残念だ」と悔しがっていました。 しかし、従来の作戦を継続させることが可能であることがわかり幸いでした。 なお、従前の上等兵たちは、転属組の気合が充分わかった様子で、私たちに対する態度が急変しました。 技術兵の優劣は、階級でもメンコの数でもなく、あくまでも技術が最優先される風潮をこの隊に浸透させる必要を感じました。
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