ある通信兵のおはなし

基地の壊滅

平成16年10月29日配信
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 昭和20年5月下旬、まだ梅雨の季節到来には少し早い時期でしたが、一日中、 雨が降っていました。 来るべき転属に備えて洗濯をしたかったのですが、諦めて、藤田通信軍曹と 「転属先はどこになるだろうか?」と通信室で話しあっていました。

通信軍曹は、我が隊に配属されるまでは所属部隊を転々としたそうですが、 「意気投合して任務を果たせるこの隊に配属され、『ここが俺の死場所』と考 えていたが、まだ先があるようだ」と語ってくれました。

通信所は敵機の格好の標的であることから、通信兵は応戦の一発も撃つことさ えできずに戦死していったそうです。この状態はどの戦場でも同様であったと 聞きました。

軍曹の追憶話を聞いていたとき、いきなり空襲警報のサイレンが鳴り、隊内の 拡声器から「隊長命令。『全員退避せよ、ここで犬死することは許さん』」と がなりたてています。
双眼鏡で北方の空を見ると、今度はグラマンではなく、P-38ライトニング (注)が10機です。P-38は航続距離が長く、しかも2,000ポンドの爆弾を二個 搭載していますから、計20個の爆弾と20mm機関砲の洗礼を受けることとなりま す。

(注)P-38ライトニング戦闘機は「はなし」の第44話を参照してください。

我が方の三機が飛び立てる余裕は全くない状態でした。
米軍機は、本土の対空設備のある地点およびレ−ダ−サイトの詳細をことごと く知悉しており、裏街道からコッソリと忍び込んできたようです。

このような戦術を使うからには、欧州戦線からきた歴戦の猛者でしょう。 残念ながら今回は完全に我が方の負け戦でした。 完膚なきまでに叩きのめされることでしょう。

ですから、隊長は「犬死するな」と命令したのでしょう。 和訳担当兵を含めて12名と竹中曹長、後藤軍曹それに私の15名が地下室の予備 通信室に退避しましたが、中谷軍曹の姿が見えません。

横田副隊長と話をしていましたので、隊長と一緒に近くの防空壕に退避したよ うです。 この地下室の広さは、8畳間ぐらいの部屋が二つもあり、深さは約3mの鉄筋コ ンクリ−ト製でしたから、まさに地下通信室でした。
しかし、換気設備が貧弱で、また、空気の取り入れ口が五右衛門風呂の煙突のようなもの一本でしたから、爆撃により地上が崩壊したときは、当然この煙突 状の空気取り入れ口は、土砂で埋まってしまうような設備でした。

最低でも一週間はこの地下通信室で仕事ができ、寝起きできる設備がなければ 戦場における代替施設とはいえません。空いている一室は機材の置き場状態で した。

ですから、もし、この地下室に避難する事態となったときは、航空機用の酸素 ボンベを2.3本持ち込もうと、わたしは常々考えておりました。 しかし、飛行機のボンベに補充する大きなボンベは、とても一人では運ぶこと ができませんので、考えていたことを実行することはできませんでした。
それと、エンジンの消音設備を施した小さな部屋に、停電に備えて、排気ガス を外へ出すための発電機があればいいのですが・・・。
可搬型の一台が隅の方にありました。 しかしこれでは、いざというときに発発を運転すると、換気が悪い場合は一酸 化ガスで全員が枕を並べて討ち死にです。
(通信の運用には電力が必要で、停電時には発発で自家発電して運用します)

なにもかも万全を期すのはむつかしいとは思いますが、非常事態に即応できる 設備を装備しておくことが、重要であると私は日頃から思っていました。

隊長は、「次にくるであろう米軍の攻撃は、艦載機ではなく、硫黄島から飛来 する戦闘爆撃機であろう。空母の司令は、恥を偲んで陸軍の応援を要請するこ とは明白である」と語っていたそうです。 また、 「当基地を放棄せざるを得ない結果となったことは誠に遺憾ではあるが、我々 として最善の努力を払い、さきの、3回目の空襲の際は、敵グラマンを6機撃墜 し2機を拿捕(だほ)した。 30機も来襲しながら当方の損害はなく、敵は8機も喪失した。 しかも、内陸部での滞空時間の関係から残る22機のうちの何機かは、ガス欠に より空母に帰投することができず、洋上で機を放棄したものもあるであろう」 とも語っていたそうです。

なお、この戦果を司令官が高く評価し、感状(表彰)を授与するとの依命があ りましたが、隊長は、 「統廃合される隊が感状を授与されることには、いささかの抵抗感がある。こ れまでの戦績を評価していただくのはありがたいが、それよりも、身命を賭し て任務を遂行した部下の特別昇進を勘案していただきたい」と具申されたそう です。

その結果、20年6月1日付けで相棒の竹中曹長は准尉に、中谷、後藤の両軍曹は 曹長に、通信室の藤田軍曹は曹長にとする昇進につき、副隊長の横田中尉から 内示通告があり、「その他の者も含めて、転属先は5月末に通告を行なう」と の指示があった翌日の空襲でした。
特別昇進の理由ですが、 竹中曹長、中谷、後藤の両軍曹は、 「偵察要員としての任務遂行に止まらず、本土防衛に尽くした功績が顕著であ ること」 また、通信室の藤田軍曹は、 「米軍通信の傍受諜報活動に抜群の戦術を駆使し、友軍の作戦遂行に果たした 貢献度を高く評価する」 との理由によるものでした。

爆撃と機銃掃射が始まり、地下室でも爆発音が響き渡ります。 コンクリ−トの壁に反響して物凄い音です。 空戦中に撃たれるほうが周りの様子を確認できますので気は楽でした。 爆弾が集中して地下室に落ちた場合は、全員が生き埋めになるでしょう。

約30分してヤット騒音が途絶えました。 米軍機は意気揚揚と引きあげたことでしょう。 竹中曹長が換気筒を調べていましたが、 「ダメだ。中が土砂で詰まっている」 私たちは、空気取り入れ口のない地下室に閉じ込められました。 平均的な大人一人が必要とする新鮮な空気の量は、安静時で一時間あたり約8 畳間の容積分を必要としますから、このままの状態で外からの救出を待つだけ では、人数から考えますと、あと1時間から2時間位で酸欠になります。

酸欠状態で怖いのは、呼吸が普通にできることです。 呼吸困難であれば自覚するのが速いのですが、酸欠は、頭がボ−ッとしたとき は既に遅く、手足が麻痺していて、その場から逃れることができないのです。 高空での「低酸素症状」に似ていますが、この場合は僅かでも酸素が供給され ますので、酸欠症状とは少し違います。

通信のプロ集団が外界との連絡に通信手段がないとは、なんとも話にもなりま せん。 入り口の鉄扉は分厚い鉄の観音扉で、外側へ開く構造でした。入り口の外が土 砂に埋まっているのでしょう。いくら押してもびくとも動きません。 万事窮すです。

藤田軍曹がハンマ−で鉄扉を叩き、モ−ルス符号で「SOS」を送っていました が、外からの反応はありません。 外に崩れた土砂が多いため、直接、扉を叩くことが出来ないのでしょうか。 その時、中沢通信室長が。「もっと大きなハンマ−はないか探せ」と言いまし た。 探すと、杭打ち用のような大きなハンマ−が見つかりました。

そこで今度はそのハンマーで扉を叩き、以下のようなモールスを送りました。

「モエツキタ、ヒコウキノ ザンガイ カラ ナガイ ボウジョウ ノ モノ ヲ、ハガシテ ツチ ニ ツキサシ トビラ ニ タッシタ トコロ デ カ タイ モノ デ タタケ」

叩いて音を出すときの、モ−ルス符号は、短点は、弾くように、長点は押さえ 込むように叩くことにより、信号を送ることができます。 同じ文を繰り返して叩いていますと

「ナカノモノ ハ ダイジョウブカ、オレ ハ ナカタニ」

別の防空壕に退避していた、中谷軍曹です。 通信は成功しました。

「オオキナ キ サンポン ノ ヒダリ イチ メ−タ− カンキトウ ドシ ャヲ テッキョ セヨ」

換気筒から土がバラバラと落ちてきて土埃がモウモウと立ちこめましたが、こ れで酸欠にならずにすみそうです。

外では、出入り口付近の土砂を撤去するのに必死でしょう。
約1時間ぐらいたって、鉄扉が開きました。

すぐさま飛び出して飛行機の様子を見ると、三機とも見るに絶えないような無残な姿に変わり果てていました。 その光景をみたとき思わず大きな声で「畜生」と怒鳴りましたが、これで我が 基地とも永久に「さようなら」となりました。


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